まるで展覧会のようですね

わたしの親友とは閉鎖病棟で出会った。

彼女は去る2022年の2月に突然他界した。

わたしは彼女と出会うまで保護室に入っていて
何もない、無機質な部屋でひたすら時間が流れるのを待っていた。

朝になると掃除をしてくれるお兄さんが丁寧に掃除をしに来てくれた。

毎日、毎日決まって掃除をしに来てくれた。

ある日、わたしに保護室から出てもいいという許可が下りた。

ようやく、保護室から出れるとなって、
となりから聞こえる呻き声のようなものともおさらばだ、と思って開放的な気持ちになっていた。

わたしが保護室から出たあと、彼女はやって来た。

わたしには何故か太陽のように感じられた。

タロットでいう「ワンドのクイーン」のように感じた。

黄色や金色のオーラが漂っていて
明るい女性。ひまわりが似合う女性。

彼女に出会って、わたしは何故か救われた心地になった。

いまでも覚えているのは

彼女がわたしを見つけるやいなや、

「あの子が一番かわいい!!!」

と言ってきたのを覚えている。

わたしは彼女を一目見てどこかいい印象を抱いたし、彼女もまた、わたしを見ていい印象を抱いてくれたのだろう。

彼女は綺麗なものがすきだった。

大切なものは綺麗なスカーフで大切に包み

お母さんの腕時計や結婚指輪などの形見を肌身離さず持っていた。

彼女は保護室に入ることになったけど
保護室の中には、絵や、置物や、ありとあらゆる綺麗なものが飾られていた。

わたしの無機質な保護室とは違い
まるで祭壇のように、彼女の保護室は綺麗なもので満たされていた。

「まるで展覧会のようですね」

彼女の主治医の女医はそう言っていたらしい。

彼女はその言葉を聞いてどう感じたのかはわからない。

でも彼女はその女医を酷く嫌っていた。

目が小さかったので、彼女が怒っている時は、その女医に「豚の貯金箱の入口みたいな目しやがって!」と怒鳴っていた。

わたしはその言葉のチョイスにクスリとなった。

彼女の言葉のチョイスはおもしろかった。

わたしの主治医のことは「とうもろこしの歯ちゃん先生」と呼んでいた。

歯がまるでとうもろこしのように小さく並んでいたからだ。

わたしは秀逸だと思った。

他にも、看護師に対して様々なあだ名をつけていた。

こりすちゃん、バービー(だったような違ったような)、せんとくん(坊主で目がくりくりした男性だったので)など、彼女のネーミングセンスはおもしろかった。

でも、一番良かったのは馬鹿な男や女のことはしっかり見抜いていたこと。

わたしも同感だったから、歯に衣着せぬ彼女の言動は痛烈でおもしろかった。

彼女は綺麗なものがすきだった。

でも、きっと保護室を展覧会の如く綺麗なものでいっぱいにしていたのは、自分の中にぽっかり空いた
満たされることはない寂しさや虚しさを埋めるためであったのだろう、と感じる。

両親を若い頃に亡くし、一生懸命働いて来たけど弟を自殺で亡くし。

彼女は生前、「わたしの人生が映画化されるねん!」とよく言っていた。

それぐらい、彼女の人生は壮絶だったのだろう。

今ではご両親や最愛の弟さんの所に行けて
幸せにしているかな。

最後にトーキングトゥヘヴンミディアムシップカードでご両親や弟さんからのメッセージを伝えてあげたら涙が出たと言ってくれたね。

彼女は安らかに旅立って行ったのだろう。

あなたは破天荒で我儘だったけど、誰よりも繊細で心優しい人だったね。


最期までわたしの幸せを願ってくれていたこと
忘れないし、信じてるよ。


ありがとう。


最後までお読み頂きありがとうございました。



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