#11 私と母の戦闘日記
中学の頃の私は、とても荒れていた。学校でも友人にも反抗的で、友人を傷つける言葉をたくさん放ってきたと思っている。
人を傷つけたことに間違いはなく、反省すべきことである。同時に、今思えば、そこまでになったのは家庭での反動だったのかもしれないと思う時さえもあった。なぜなら、家族に傷つけられていたと思っているからだ。
私は、その頃、家族に会いたくなかった。家にいないことが多く、家にいても自室にこもっていた。
母と話す度に喧嘩し、喧嘩するたびに、友人を悪く言われることも多々あった。しかし、友人を傷つけていた私からすれば、こんな私にも友人がいてくれたことは感謝以外の何物でもなかったのだ。
だからこそ、私は母が悪くいうたびに、友達のことを悪くいうのはやめて、と言い続けていたのだ。しかしそれは、家族よりも友人を優先しているように見えたのだろう。より、母を怒らせるだけだった。そんな母からは、私の人格を崩してくるような言葉しか出てこなかったと、記憶している。
そんな状況に耐えれるほど強くなく、私は、学校で友人に抱きつきながら泣き、過呼吸になり保健室によく行くようになった。
友人にも母のことを話していた。そして、母のことを気持ちいくらいに笑い飛ばしてくれる友人がいた。その友人とのメールを見た母は、私に激怒した。
その時に痛感したのだ。
自分のプライバシー管理の甘さと、母が人としてありえないことをしてくる異常さと、自分の母とは思えないほどの人間であると感じた、悲しみを。
そして、その辺りから私は絶望し、割り切れるようになってきた。
こんなもんだと。
こんな人なんだ、と。
この程度の人間なんだ、と。
自分も含めて、諦めを知ったのだ。
そして、あっさりとその記憶を葬って生活していた。
そう、大学院までは。
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