ポテトサラダと牛スジ煮込み

或る土曜の夜に、父は入院中の病院で急死しました。
離れて暮らしている私や私の兄達が、取りうる限り最速の方法で集まったのが日曜の昼。そこから葬儀の手続きに奔走し、瞬く間に日が過ぎて、通夜を控えた水曜の昼。
喪主となる長兄が、親族にこんなメールを出しました。

件名:レストラン我が家 現亭主、最後の挨拶
本文:今夜、通夜振る舞いを致します。「レストラン我が家」を知る方々、ぜひお越しください。ささやかながら酒宴を催します。

レストラン我が家とは、生前の父が好んで使っていたフレーズです。
平たく言えばホームパーティのことで、「レストラン我が家」を称した自宅に親族や友人を招き、父と母の手料理で宴会をすること。
料理が好きで、酒が好きで、何より大勢で盛り上がるのが大好きな「パリピおじいちゃん」だった父の生きがいの名前なのでした。

本来の通夜振る舞いなら、しめやかに故人を偲びながら食事をするのでしょうが、もし父が生きていたら「楽しくやろうよ」と言ったことでしょう。いや、そうに違いない。美味しいものを作って、みんなで食べよう。そんなメッセージを込めた、長兄の計らいでした。

このメールを受け、すぐに私と次兄は立ち上がりました。
-何にする?
-あの人らしいメニューにしなきゃね。
-そうだね、思いっきりあの人好みにしよう。
-なら、アレだ。

「ポテサラと、煮込みで」。

父の得意料理であり、レストラン我が家の定番メニュー。
どこの居酒屋さんでも食べられるお馴染みのものですが、父はこだわりを持って作り、酒に酔うとそのこだわりをよくゲストに語っていたものです。

今回は私がポテトサラダを、次兄が牛スジ煮込みを担当することになりました。

まず、ポテトサラダ。
ジャガイモを茹でる時は水から、皮付きのまま。
父はあまりジャガイモをすりつぶさず、芋のポクポクとした食感が残る茹で加減を好んでいました。時短のために、厚みが薄くなるように半分に割ってから鍋に入れます。
茹で上がったジャガイモは皮を剥き、まずは酸味の強いドレッシングをかけます。今回は、冷蔵庫にあったコールスロードレッシングを。無ければ酢、油、塩で。重要なのは酢を芋に馴染ませること。
酢が馴染んだら、スライスしたキュウリと、刻んだハム。塩胡椒。マヨネーズ。刻んだセロリやピクルスでも良いです。マヨネーズで具材と芋をまとめたら完成。マヨネーズの入れ過ぎに注意します。

続いて、牛スジ煮込み。
父は3回茹でこぼしたものを使っていました。大きな鍋でグラグラと煮て、お湯ごとアクを捨てる、を繰り返します。
3回目の茹でこぼしが終わったら、もう一度綺麗なお湯で、生姜のスライスと、くし形に切った玉ねぎと一緒に煮込みます。父は保温調理器を使用していました。3時間くらいは欲しいところです。可能ならば一晩中。
トロトロに柔らかくなったら、白だしと味醂を入れて、冷まします。冷えて味が染み込んだら完成。食べるときにもう一度あたため、七味唐辛子を振っていただきます。

牛スジ煮込みやモツ煮は父の好物でしたが、医者に止められてあまりたくさん食べられなくなっていました。
もう関係ないよね、と次兄と笑いながら、大鍋いっぱい作りました。
ポテトサラダは日持ちするので昔からつい大量に作ってしまいがちで、レストラン我が家が開催された翌日以降もよく食べたものです。パンに挟んでお弁当にしていました。

通夜振る舞いの宴席はたいへん豪華でした。
葬儀屋さんが父の友人だったこともあり、計らってくれたようです。
私と次兄の作った料理も並べられました。
親戚の中にはわざわざ湯豆腐キットを持ち込み、手ずから振舞ってくれた方もおりました。

父の友人達が来てくれ、レストラン我が家の思い出を語っています。
親戚は談笑しながら、アレが美味かった、コレがまた食べたいと料理の話をしています。

父の好きだった、いつものホームパーティの光景が広がっていました。
遺影の中の父は微笑んでおり、誇らしげにも見えました。

最後の挨拶を、父は見事に果たされた。
楽しげな皆様の様子を見て、私はそう確信することができたのでした。

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