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当たり前の基準

世の中にはすごい人がたくさんいる。
そういう人は一般的には考えられないようなことができる人だったり、人よりも長けていることや秀でている部分がすごくある。
人としてのレベルが高く、能力や技術、才能はもちろん、それを更に磨く努力も人の何倍もして築き上げたんだろうなと思う。

けれど最近より気づいたのは、そういう人たちは他人がマネできないような特別なことよりも、当たり前にできることへの基準値が高いということ。
そう思った時に、当たり前の基準って何なのか。

対人関係においての当たり前はたくさんある。
挨拶、礼儀、節度、感謝、と上げたらキリがない。
もちろん自分に対しての当たり前のこともある。
ただ一つ言えることは、当たり前とは人によって全く違うということ。

相手と共通している当たり前は常識だけれど、共通していない当たり前は常識ではない。
私にとって当たり前だと思うことは、誰かにとってはすごいことだったり、特別なことだったりする。もちろんこれは逆もしかり。

これが時に結構しんどかったりする。自分にとって当たり前にできることは、相手からすると当たり前ではないから、私がその当たり前を相手にした時、それと同じことが返ってくるとは限らないということ。これが起きた時に相手との差が生まれる。
そしてこの差が広がれば広がるほど、相手に対して不満が出てくるし信用度も低くなる。

なので私は相手によって自分のできる当たり前を変えるようにしている。自分の中でどこか見切りを付けないと、いつまでも相手に自分の当たり前をしてしまうし、それが続けばやがて相手にも同じことを求めるようになってしまうから。
そして私の当たり前は、私の中での当たり前であって、相手から同じ当たり前が返ってくることを期待しないこと。これも心に留めるようにしている。

私ができる当たり前を同じように返してくれる人。それに気づいてくれる人、もしくはこの人だったらいいやと思える人にすること。
そして相手がしてくれていることは、決して当たり前ではなく、私だからしてくれたことなんだ。というように思うこと。相手からしてもらったことには、必ず感謝の言葉を添えること。時には心ばかりのお礼も忘れないようにすること。
これから先も変わらずにやっていきたい。

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