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みえるきえるふえるへる

シャッフル再生を設定しているにもかかわらず
毎回同じ順番を辿るのはどうしてだろうか。
音楽アプリはどうやら私に同じ曲群を
繰り返し繰り返し聴かせたいようなのだ。
何かの刷り込みでも企てているのでしょうか。

昨日寝しなに聴いた曲を自ら選択して
登ろうとする人を誰ひとりとして通さない覚悟
みたいな群れの中で階段を降りる。

どうでも良くないことまで、どうでも良いと
思い込まないといけないような改札付近の
押し合いのなかで陰鬱が足を止めようとするけれど
どうでも良くないことまで、どうでも良い
と思わせても、立ち止まることはもっと許さない
徹底抗戦の構えで、後ろから横から人が、また人が
押し寄せてくる。

人の感情は目に見えやすい世の中になった。

誰が何を考えているのか、
何が多数派なのか、分かりやすくはなったけれど、
その分、見たくないものまで見えやすくなった。

今朝もまた定期排出されていた文句に
えずいてしまいそうになったので、
ひとりになろうとトイレを探した。

世の中を見下ろせると思って斬っても
誰かを感動させる文章にはならない。
誰もが考えているそれくらいのことをわざわざ
ことばにしても小説にはならない。

蠢くたびに澱はこちらに押し寄せてくる。

多くの番組が1クール(3か月)単位
で放送されている。
複数(多数)の番組を追いかけていると、
山場だらけになる。
山場だらけになるということは、それだけの感情が一度に動くということで、満潮時に風が強い砂浜は多くの砂を沖合に連れて行くのと同じことになる。

今はとても便利になったから、いつでもどこでも
観ることができる。
それはつまり、いつでもどこでも感情が
動かされることでもあるから、人のなかにあっても
涙があふれ出てしまいそうになることがある。

泣くのを堪えて観ると、イマーシブ感も薄れて
しまうような気がして
少しもったいないような感じがする。
とはいえ、毎日の時間には限りがあるので、
泣くのを堪え続けるよりない。
作品を生み出すことが出来る人たちは
本当に素晴らしいなあと思う。
私は享受することしか出来ないけれど、
感じること・考えることにおいて
何かしらのフラグメントが生き続ければいいな
と思いながら、作品に触れ続けたいと思う。

たんなるにっき(その130)


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