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備忘ゆえのUntitled

センセーショナルなことばは人を惹きつける。
苛烈で批判的であればあるほどよく、たくさんの鳥を寄せるために木の実が赤くなるのと同じ。啄まれたそれは多くの鳥が運び行き、遠くにまで届く。

だが、センセーショナルなことばは飽きられる。
それ故、自身でも制御がつかぬほどにまで、悪辣で批判的になる。自己批判にすらつながる矛盾を孕み、標的外にまで矛先が向いてしまうように外形的に見えるほどに大きなものとなる。

多くの人は噓をつくことは不得手で、本当のことを言うことはもっと不得手だ。腹に抱えた一物をセンセーショナルなことばで代弁してもらうことは、とても心地が良い。願わくばそのことばで誰かの何かが是正される、いやそれが駆逐されるなら、と思うほどに。

批判や文句は誰にでも言える。だが、誰もが表出できるものではない。良心が咎めることもあれば、自身の矛盾を突かれることを恐れることもある。そして、多くの人は嫌われてまで言おうとは思わない、と不等号を立てるのだろう。

多くの人は、誰かの共感を得たいと思う。
或る人は承認欲求を満たすものであり、或る人は不安を自信に変えるためのものであり、或る人は罪悪感を打ち消すものであり、或る人は価値判断の拠り所である。

センセーショナルなことばは人を惹きつける。
だが一方で、ひとりがそれを続けるうちに人は飽きる。そうなるとより一層ことばは苛烈で批判的になる。代弁者として信奉する人も決して少なくはないだろう。だが、一方でいつ次の標的にされるだろうかという恐れが生まれる。

標的でなかったとしても、次第拡がる震源に標的かのような気持ちに陥る可能性も秘めている。多くの人は本当のことは言わないし、言いたくはない。
その共感が本当なのかどうなのか、それを疑いだしたらキリがない。
それをどこまで信じるか、疑うかについては基準などもないからだ。

ことばは偉大であり、不自由だ。
精緻、正確な文章が正しく伝わるとは限らない。
美しい表現で描かれた文章が共感を得るとは限らない。幼き少年の文章が言葉足らずであっても激しい感動を生むこともあれば、優れた学者の文章が読むに値しないこともある。
ことばは手段にすぎないのだろう。

誰が何を言ったのか、何を伝えようとしているのか、何のために言っているのか、という至極当然のことが大切であり、それが難しい。私は思いつきのような詩やにっきしか書くことが出来ない。共感や感動を求めているわけでは決してないけれど、自分自身に充てた手紙としても不十分で、遺すものとしても価値がない。

卑下しているのではなく、集積され続けた文章の束を見返すことで己の人間としての輪郭と体積と密度を突き付けられているのだと思い知る。
ほとんど誰にでもことばは与えられているからこそ、それらは見えてしまう。

何も変わらないのは罪だ。
私は変わりたいと思いながら、読み返しても同じことを言い続けている、いつかしたいと思っていることもそのままで、その項目すら変わることがない。
センセーショナルなことばに人が飽きるのもどこか似ているかもしれない。ことばや内容が苛烈で批判を増していくのに、代弁者が何も成長や発展をしていないのであれば、それは興ざめることもあるだろう。変わらずに言い続けられるのはよほどの人格者か理性的で徳のある人だけなのかもしれない。
(そういう人はそんなことはしないだろうけれど)

理想は、批判的であれ、そうでないものであれ、ことばを表出する人が発しながら成長や発展をしていることなのだろう。それにより、表現や内容がより豊かで、納得感のあるものとなるだろうし、その様を見ることは本人にとっても読み手にとっても意義のあることと思えるだろう。

人の客観的視点などたかが知れている。耳のいたい声もある、嫌いな人からの声もある。それを振り払うような開き直りは一見すると、「ブレない私」で「強い人」に見えて格好が良いのかもしれない。

怒ること、悲しいこと、傷つくということは、ことばに反応出来ていることであるし、それは自分の不足を見ようとしているからに他ならない。傷つかない人などいない。もし、本当にそうなのだとしたら、それは虚勢によっても守りたいものが矮小であることであり、成長の機会やのびしろを自ら断ったということの宣言なのかもしれない、と私は思う。

すっかりと大人になって、喜怒哀楽も本当も隠すことが上手になって、プライドや実績をひたすらに守ろうとするばかりになるけれど、それをことばにして、人に見透かされて、それをことばにしてこうして遺し続けることを思うと、とても恥ずかしく、さもしいことだと思う。
人はほとんど本当のことを言わないし、嫌なことを言ってくれることは稀だから気づくしかない。傷つくことや悲しむことをやめたらそのスイッチを切ってしまうことになる。
共感を得られなくても仕方のないことだけれど、出来れば傷ついたり悲しんだりはしたくない。歯を入れた甘夏が存外酸っぱくて、そして口内炎にしみることはあるだろう。
今日もこうして成長なくことばを遺す自分に物足りなさを感じて、成長のなさに恥ずかしさをおぼえる。読み返した時に、成長があったと言えるように。

備忘として、あえて人の触れる場所に置いて、律することにする。健全な心持ちで書いた自己対話。


たんなるにっき(その107)

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