東京その2,自由学園明日館
池袋駅から賑やかな道を抜けて右に左に歩く。東京の友人の案内なしに果たしてたどり着けていただろうか、え?ここ通るの?普通の住宅街だよね。
角を曲がると背の低い五角形の門、可愛らしい入り口の横に重要文化財自由学園明日館との印がある。
唐種招霊(カラタネオガタマ)という難しい名前のクチナシに似た花がかすかに甘い香りを放って開きかけていた。
50代半ばになって通信制芸大に入学し、フランク・ロイド・ライト設計のちに遠藤新が建築完成まで引き継いだ芦屋市にある「ヨドコウ迎賓館 旧山邑邸」を卒研にレポートを書いた。
今思うと全く論文と呼べるレベルでもないシロモノだけど、当時の私はライトの遺産ともいうべき犬山の明治村帝国ホテルファサードを見学したり、宇都宮の大谷石資料館まで足を延ばし、ライトの精神を少しでも感じようと努力していた。
なのにここには来たことがなかった。
晴れた日の芝生はそれだけで気持ちがいい。
その上に座って少女たちは他愛無いおしゃべりに花を咲かせただろうか。
当時のままの靴箱、傘立て、ライトの椅子や暗い通路や階段にもひそひそ声は今も残響している。
落ち着いた緑と淡い黄いろ、シンメトリーに左右に低く広がるプレイリースタイルと呼ばれる建物は、とても懐かしくわたしの記憶にいたずらっぽく入り込んでくる。
自由学園は、日本の子女教育に意欲的だった羽仁もと子夫妻の意思で設立された。
1900年代になったばかりの女性が置かれた環境とは結婚、出産、育児を担う役割であっただろうが、『婦人之友』を発行する新聞記者の肩書も持つもと子は、これからの女性像のビジョンを強く思い描いたのだろう。
当時帝国ホテルを建設工事中のF.L.ライトが日本を訪れていた好機を逃さず学園の設計を依頼した行動力は素晴らしい。
長崎生まれの私は、家は禅宗だが幼稚園はカトリック聖母幼稚園に通った。
教会の両側にイコンが並び、十字架を背負ったキリスト像、12才で耳を削がれたルドビコ様の歌🎵を今でも歌えるほど印象深い。
宗教の残した記憶は強烈でときに暗く天国も地獄も煉獄もあるといまでも本気で怖がっている。
なのに、キリスト教系である自由学園の建物からは、その暗さや規律の重苦しさがほとんど感じられない。
十字架が無い理由は調べてみたがみつけられなかった。
教育の場として機能していたころの実際ははかり知るすべもないが。
ここには自由と自律が生きていたのではないかと、明るい方へと思考を向けたい、そんな空気がライトの描いた中央ホールの窓からも伺える。
そのことが最も表れているのが食堂だ。
高い天井、印象的な照明、ライトらしい木組みのアクセントデザイン。生徒たち自身で調理をし非常に重いテーブルさえセッティングをしたそうだ。
訪れる機会があればぜひ、100年使用されてきたテーブルと椅子に腰掛けて珈琲を飲みながら、ここに暮らした生徒たちと時間を超えた幸福なひとときを、ゆっくりのんびり過ごしていただきたい。
ここに来れてよかった。忘れ物をみつけた気分です。
参考にさせていただきました。ありがとうございます。
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