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祖母のはなし


「ばあば、あと3ヶ月とかそこらだって」

バイトから帰ってきて母から聞いた言葉はそれだった。
2年半ほど前に肺がんと診断された父方の祖母。
初期のステージ4。原因は長年の喫煙だろう。
約10時間にも及ぶ手術を、その小さな、華奢な体で乗り越えた。私は当時中学3年生で、母と祖父と病院の待合室で受験勉強をしながら待っていたのを覚えている。

お医者さんからは5時間くらいの手術だと言われていたけれど、思ったよりがんが進行していて、時間がかかってしまったと聞いた。
がんは摘出できるところは摘出できて、転移に気をつければ大丈夫だろうと言われていた。

肺がんの5年生存率は約20%。手術ができれば40%ほどに上がる。
いつも元気で料理が大好きだった祖母はがん発見とともに料理関係の仕事をやめ、治療に専念するようになった。

月に2、3回抗がん剤治療をしに病院へ向かう。
最初の頃は針がすぐ抜けてしまって腕が紫色になって帰ってきては文句を言い、
でも大丈夫。あまり痛くないと笑って言った。
がんを患ってると感じさせないぐらいに元気な様子。でも体は正直で、抗がん剤治療が進むにつれて祖母の体は痩せていった。すると家に篭りきりになり、大好きだった料理もしなくなった。
でも孫が行けばいつだって笑顔で迎えてくれた。
なんの変わりもないいつもの祖母だった。
その笑顔に甘えてたのかもしれない。

今年の夏に入ってからすこし息切れが目立ち、少し歩くとすぐに疲れて呼吸が難しくなるという話を聞いたのはつい最近のこと。それからの進行は早くて今は酸素を持ち歩いている。

「病院行くの一緒に行ってきなよ。話、聞いてきなよ。仕事より大切でしょ」

母が父に言った。父も仕事が忙しく、大事な説明の時についていてあげられなかった。母もそれは知っていて、父に何も言えず、ここにきて初めて母が祖母について口を出した瞬間だった。
父もそれ納得して、話は冒頭に戻る。

抗がん剤治療を続ければ、寿命は延びる。でもここで在宅医療に切り替えるのなら寿命は3ヶ月。と言われたらしい。
祖母はその意味を知ってか知らずか、在宅医療に切り替えたいと話したという。
祖母が希望したといえど、まだ早い。
もちろん、祖母が上記の意味を知って、抗がん剤治療が辛いから在宅に切り替えるというのならば無理は言わない。しかしその意味を知らずに希望しているのなら私はまだ頑張って欲しいと思う。

今後がどうなるかはまだわからないけれど、今ならまだ選択肢を変えることはできる。だけどそれは私たちが決めることじゃなく、本人が決めることだ。私達には病気で闘ってる人の気持ちや辛さが分からない。でも、代わってあげたいと何度も思った。それも叶わないなら、私達には何ができるだろう?


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