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月明かりの夜中に(あね)

いもうとへ

こんにちは。8月の終わりにいただいた手紙に、10月の初旬ももう過ぎた頃お返事をしています。
あなたはどう過ごしていましたか。あなたの好むように、家の中での平穏を愛し、ゆるりゆるりと暮らしていたのかな。

私は、子どもを産みました。8月1日、盛夏の候に。4人目の男の子は大きくて元気そのもので、でも高齢の私はヘトヘトのよれよれ。私を構成している細胞のひとつひとつが、よくがんばったものだと思います。今も母乳はしっかりと出て、この大きな子はさらにどんどん大きくなっているのです。

もうひとつ。先日は三男の三回忌でした。

なんて、なんて人生は奇妙なんだろう。

と、思うのは私の感情です。

宇宙の、地球の、この世の歴史の、生物の起こりと消滅の、で言えば、それはただそういうこと。そんなこともあるということ。それが全てなんだろうと思います。

でもあなたの言うように、どうせ過ぎてゆく、と思うのではなく、ただこの一瞬を愛おしむことが、感情のある人間に与えられた生き方なのでしょう。

三男が息を引き取ったあの病院で、四男を産んだ日の朝。三男と同じ病気で闘病をしていた女の子が亡くなりました。小児がんの再再発は、もはや痛みのコントロールも効かないところまで女の子を追い詰めました。女の子は亡くなる前の晩、万全の体制で退院し、花火大会へ行ったそうです。そして、「きれい。」と笑って言ったその日の晩に、おうちで亡くなりました。最後に目を閉じる前に、「こわい。」と言ったのだそうです。死ぬことがわかっていたのではないか、とお母さんが話してくれました。まだ、小学校にも上がらない年端なのに。

女の子のお母さんに、少し経ってから連絡をしました。お母さんはどんな様子でいるのか、とても気がかりでした。悲しみの底にいるのではないか。ご飯も食べられないのではないか。

ところが驚いたことに、お母さんは、こう言ったのです。
「寂しいし悲しいけれど、とても清々しい気持ち。あの子はわたしの記憶の中の、楽しい扉の中に入ったみたい。パリで食べたもちもちのクロワッサンとか、イギリスのワクワクするようなデパートとかの思い出と一緒に。」
「ご飯がゆっくり食べられるから、美味しくて太っちゃった。」

何年にもわたる闘病と、当然ながらその看護の日々。いつも不安だけれど、小さな幸せもたくさんある日常。
女の子が亡くなったその日から、お母さんの人生は別の道を歩み出したように思いました。きっと何もかもが変わったのです。
苦しみから解放された女の子は、きっとニコニコ笑っている。私の三男とよく似た雰囲気の、目のくりっとした笑顔の女の子でした。

それから、女の子のお母さんは、四男の誕生をとても喜んでくれました。
まるで世界はひとつみたいだと思った。みんなで生きているんだって。

昨日一昨日と、夜中の授乳で見た月明かりがとてもきれいでした。そして、かなわない、と思いました。私はただ生かされているんだから、感謝して笑って生きているしかないんだわ、って。

ところで、どうして本が好きな人は家を愛して猫を愛すのかしら?あなたのように人生を楽しんでいる人が多い気がします。


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