見出し画像

アップデートの日々(あね)

いもうとへ

ご無沙汰してました。本当に、あっという間に時間は経つね。

ありのすさび、の話。教えてくれてありがとう。人の営みや感性は、昔も今も変わらないように思えました。朝が来て、1日を過ごして、夜眠りまた朝が来る。新しい朝は、アップデートされた新しい自分との出会いでもある。そんなことに気づいていたいと思いました。

「人付き合いは腹6分目」という言葉について。あなたが、 

ちょっぴり意外でもありました。私は、あねは誰に対しても全力で「話せばわかる」「理解してみせる」というようなスタンスで生きているのかと思っていたので……。長年姉妹をやっていても、驚きも発見もあるものですね。

と言ったことに、まさにアップデートされている自分を見たような思いがしました。あなたと2人暮らしをしていたあの数年間は、やはりそんなふうに生きていたと思います。
私は教師として、知的障害のある子どもたちと過ごす日々でした。言葉をうまく扱うことができず、自傷や他害や、破壊行為によって表現される彼らの思いを見た時、彼らの願いや思いをなんとか代弁して伝えてあげたかった。「あなたは、こう思っているのでしょう?」と。それは恐れながら、ヘレンケラーにとってのサリバン先生のような気持ちでもあったと思います。全力でした。そして彼らとの関係性は、特殊でもありました。障害があるということだけではなく、親元を離れて寮生活を送っていた彼らにとって、教師としての私はものすごく近い立場であったということは確かだと、今でも思っています。

あれから十数年。今では、それなりの人付き合い、に関しては腹6分目でよいと思います。互いのテリトリーを守りながら付き合う分にはそうなるだろうし、傷つけたり傷つけられたりしない距離を保てると思います。

でも、私は人が好きなんだと思う。長く付き合っていくならば、本質的な話がしたいな、と思う。その人の価値観や、それが生み出された背景や、ある出来事に対しての見解なんかにはとても興味がある。もちろん全力で理解してみせる、とは思わないのだけれど、理解を示すことが必要な場合がある、とはやっぱり思っている。

安倍元総理が凶弾に倒れたね。
どんなことがあっても暴力で訴えることはあってはならないと1番に思う一方で、暴力は、「理解されたい。理解してほしい。」気持ちの最終手段だということが頭を過ぎりました。
私たちに突きつけられていることは、暴力に訴えない、自己表現や対話の手段を身につけて在る世界をいかに創っていくか、ではないかと思うのです。加害者の彼にあった背景については慎重に扱ってほしいと感じます。

今回の選挙の投票率は高かったようですね。「選挙に行こう!」が合言葉にもなってきました。一人一人の今日がアップデートされているような、そんな気がしました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?