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禅とジブリ(あね)

いもうとへ

高野山、行ったことないです。ぜひ行きたいわ。明恵上人は、あなたの卒論のテーマだったよね?でも記憶力のよいあなたが、それに何を書いたのか忘れてしまっているという気持ち、わかるような気がします。演歌歌手の歌い上げるさまが、歳を重ねてから味が出るように、仏の教えも、宗教学も、その哲学は人生とともに染み込んでゆくものであるのだと思います。人生には、その後の運命を変える瞬間が幾度かある、ちちはそう言っていました。

宗教について。制度化されたものの中で、神仏を崇め、敬いながら自分を律する人もいるけれど、皆自分の中に気づかぬそれを潜めているのだと思います。人は死んだらどうなると思う?と聞かれた時に、きっと誰もが、その人なりの答えを口にするのではないかしら。それがもう、宗教なのだと思います。

思い出した!ちちは、「俺は仏教でもキリストでもイスラムでもねぇ、◯◯(我が家の姓)教だ!」といつも言ってたわ。そういうことだったんじゃない??ねぇ教えてよ!!って、思う…ことたくさんある。

そして、自分と他人のそれは違って、でも目指しているところはそれぞれの安寧の場なのだろう、そうであってほしいと思います。隣人の宗教を知るところから始めたい。

禅とジブリという本を読みました。とても面白かった。ジブリは、「今、ここ」を生きる映画で、禅では、それを即今目前という。そして、色即是空。この世には何が起こるかわからない。それでも行く。生きていく。今、ここを。

3日くらいかけて、子どもたちともののけ姫を見ました。

アシタカが、山犬の神に「おまえにサンを救えるか」と聞かれる場面。アシタカの答えは、「わからぬ。」「しかし共に生きることはできる。」でした。

未来のことはわからないから。でも、今できることはできる。人と森との共存、アシタカは里と森を行き来して、生きる。

子どもたちの第二の母、arさんの旦那さんがね、結婚するときの「娘を幸せにしてくださいね。」というやりとりに否定的だったのだって。そんなわからない約束はできないと。なのに自分が結婚する時にまさにそう言われて、やむなく「はい。」と答えてしまったのだって。結婚してその数年後、仕事を辞めたくなった時、自分が仕事をやめたらあなたは悲しいか?とarさんがだんなさんに聞かれて、「それは困る。」と答えたら、頭を抱えてこう言ったそう。「あぁ、あの約束を破ってしまう…!」

この話を聞いて、思わずarさんの旦那さんはアシタカです!と伝えました。

今日を生きます。

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