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06. ミスター①(Being For The Benefit Of Mr.Kite!)


きっかけは些細なものだった。

夕方街を歩いているとき、前の女性が鞄についたキーホルダーを落とし、孝太郎が拾った。それがたまたま孝太郎もよく知るアニメのキャラクターだったので、話は盛り上がり、ちょいと少しお酒でも。そのまま居酒屋へ流れ込み、気づけばホテルの一室で相手の女性が寝息を立てていた。

罪悪感と後味の悪さを覚えながら、孝太郎はひとり部屋をあとにしたが、一週間後、別の女性相手に同じ行為を繰り返していた。きっと麻薬もこんな感じなのだろう。一度手を出せば、あとはずるずるどこまでも堕ちていけた。

孝太郎は飢えていた。渇いていた。常に誰かに触れていたかった。そして、性行為の持つ意味を、少しでも薄めてしまいたかった。そうでもしないとおかしくなりそうだった。


なぜなら孝太郎は、手痛い失恋を経験したからだ。


一度は納得したつもりだった。好きなものは仕方ない。おめでとう。俺は秋彦と弥生のことを応援するよ。そう言って、その恋に終止符を打ったはずだった。


だが、頭で理解していても、心がそれを受け入れない。


夏休みが明け、二人の姿を見るようになると、醜い感情がマグマのようにふつふつと湧いてきた。きっと二人は、二人きりの場所で、二人きりの行為をしているのだろう。自分の心に蓋をしても、次から次に溢れる感情の前にはなすすべもなかった。目を瞑ると、二人の姿が余計鮮明に描き出された。

だから、目の前にぶら下がる果実に飛びついた。そして、それを狂ったように貪り食った。一度タガが外れると、あとはどこまでも堕ちていくことが出来た。

以降、孝太郎は、あらゆるところで女性とのつながりを求めるようになった。ある時はインターネットを通じて、ある時はバーでの声掛けを通じて、女性と知り合った。孝太郎はその気になれば話術を駆使し、相手を楽しませることが出来たし、容姿も決して悪くはなかった。ほんの少しの努力さえ厭わなければ、相手を見つけるのにそれほど苦労はしないことがわかった。

その際自分に課していたルール。それは、名字しか明かさないということだ。なにがあろうと、相手に対し、決して下の名前を明かさない。

そのことにどれだけ意味があるのかわからなかったし、そもそも、どうしてそんなルールを作ったのかもわからない。

自分の知り合いにばれたくなかったというのはあるだろう。どんな時も冷静な頼れる男・孝太郎というブランド、あるいは幻を、数少ない友人に見せておきたかったのかもしれない。


ただ、名字だけ本名を名乗った理由はわからない。誤魔化したければ、完全な偽名を使うべきだった。


ふとした拍子に思いつき、なんとなく実行するうち、その行為に意味があるように思えてきただけだ。普段の自分と、陰の自分。その二つを分ける、淡い境界線のような役割を期待していたのかもしれない。


(to be continued…)

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