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好意を持ってインドカレーを食べに行ってみたんです

「どうして旅行先に島根を選んだんですか?」

温泉旅館で働く僕は、お客様に尋ねるようにしている。

すると、

「いつかここに泊まりにきたいと思っていたんです」

そう答えて下さるお客様がおられる。

それはあくまで組織の力であり、全くもって自分自身の実力ではないのだけれど、やはり自分の職場をよく言われることに悪い気はしない。

笑顔は自然と2割増しになるし、その後の会話も弾むというもの。


言われる立場は嬉しくなるものだ。

そして、言う立場はもっと嬉しくなるものなのだ。

そんなことに気づくと、世の中はもっともっと働きやすくなる、そんな風に思うのだ。


その日、僕は別行動をしていた妻と池袋で合流した。

ゲームセンターや映画館といったお決まりのデートコースを堪能した後、

恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーションを見に行こうか、という話になった。


「あのインドカレー屋さんに行かない??」

ふと思い出した恵比寿にあるお店のことだ。

学生時代に親友が近くに住んでおり、足繁く通った。

その後、まだ結婚する前の妻を連れて行ったが、それきりになっていた。


かなりの年月が経っていたけれど、検索したらまだ営業していることがわかった。

閉店時間も近かったので、念の為電話を一本いれておいた。


恵比寿駅東口改札を出て、ガーデンプレイスと書かれた看板の方向に歩を進める。

長い長い動く歩道を気持ち早歩きで。

出口すぐの信号の先、ガーデンプレイスからはイルミネーションの灯りが漏れ出している。

光に誘い込まれる人の流れを横目に、右手に折れる。

線路の上を渡ってすぐ角の建物。

二階を見上げる。


「LOCAL INDIA」


懐かしの看板を見つけて、どうしてか胸がキュンとなった。

あの時と変わらない狭い急勾配の階段を登り、店のドアを開ける。

中からインド人店員が笑顔で出迎えてくれた。


「電話クレタ人デスカ?」


閉店1時間前に来店するのは珍しいのだろう。

実家にもどったような安心感を覚えながら、イルミネーションが見える窓際の席に腰を下ろす。

店内には同世代のカップルが一組だけ食事をしていた。


都会の喧騒をどこかに置き忘れた店内の雰囲気。

あの当時から変わっていない。

スパイスの香りが当時の記憶を呼び戻す。


当時は今ほどインドカレー屋さんも多くなかった。

インドカレーというものをこの店で初めて体験した。

このお店はとにかくナンがおいしい。

かなり大振りのナンで、パリパリになったおコゲの部分は少なめでバランスがいい。

ふっくらとしていて、バターはたっぷり。

ナン単体でも成立する、そんなカレー屋さんだ。


「実は20年前に大学生の時によく通っていたんですよ。

久々だったんで、営業していて本当によかった!ずっと来たかったんです。」

メニューを手渡してくれた店員さんに思いの丈が溢れ出た。

当時いた店員さんではないことは分かりきっているが、どうしても伝えたかった。

彼はにこやかに注文をとると、厨房に戻っていった。

キッチンの奥からはヒンドゥー語のやりとりが聞こえてくる。

僕の思いを伝えてくれているのだろうか。


その後、運ばれてきたカレーはやはり僕の期待を裏切らず、絶品だった。

そして、いうまでもなくナンは僕らの舌を懐かしさへと誘ってくれた。


「コノオ店、9コニ店ガフエマシタ」

ショップカード片手に店員さんが教えてくれた。

この恵比寿店が本店でこの20年間に都内中心にお店が増えたとのこと。

そりゃそうだ、ここのナンはおいしいんだから。

そう思って、店員さんにおめでとう〜と伝えると、店員さんは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。


妻の希望でマンゴーラッシーを追加オーダーすると、

店員さんは両手にドリンクを抱えて戻ってきた。

「オネエサン、マンゴーラッシーネ!チャイ、オニイサンニサービスネ」

彼からしたら本当にちょっとした気遣いだったのだろう。

僕にはそれが無償の愛に感じた。


帰り際にナンを作ってくれたキッチンスタッフに声をかけた。

「私はこのお店でインドカレーの美味しさを知りました。

このお店のナンは日本で一番おいしいです。ありがとう。」

Google翻訳でヒンドゥー語に吹き替えて聞いてもらった。

メッセージを受け取ったキッチンスタッフの彼もニヤリとしてお辞儀をした。


「マタキテクダサイ!」

1日の仕事の疲れを見せずに全力で見送ってくれる店員さん。

別れ際の一言に

「もちろん!」

と約束をして、急な階段を下る僕たちのお腹はパンパンに膨れ上がっていた。

だがそれ以上に、僕らの胸は込み上げるものでいっぱいになっていた。


好意を持つ人には自然と好意を返す。

自然の摂理。

彼にしたら、お店に好意を持っている僕たちはある意味無関係の存在だ。

ただしかし、懐かしい記憶と期待を持ち、好意を寄せるお客さんが現れた時、できる限り期待に応えようとするもの。

自分のアイデンティーでもある職場を褒め称えてくれる相手に対しての感謝だからなのかもしれない。

自分はここにいていいのだ、そう気づかせてくれたから。


食後に改めてイルミネーションを堪能した。

輝く並木の先に壮大なバカラ社のシャンデリア。

煌々と夜空に広がる光は、インド人の笑顔を彷彿とさせた。


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