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北海道白老町に行ってきたら、幸せってなんだろうって考えた

お久しぶりです。あんでぃ生きていますw

2月から色々なプロジェクトが動き出したり、
マックを買い替えて設定したり、
新規メディア立ち上げなど、子忙しくしておりました。

みなさまお元気でしょうか?

つい昨日まで、北海道へアイヌ文化の視察にいってまして、その時感じたことをご報告できればと思います。

※トップ画像はアイヌのゴザです。文様かっこいいよね。

北海道白老町に行ってきた。
アイヌ文化について考えた2日間。
自分の常識を見つめ直すいい機会となった。

文字を持たないアイヌの人々。
文字を持たないってどういうことだろうね?

文字がないと、
今の僕らの生活は成り立たないよね。
スマホを持ってても使えないね。
LINEも打てないし、電話をしようにも、文字がなければ相手の名前を検索できない。

って考えるとめっちゃ不便だよね。
でもね、失うことで得ることってあるんじゃないか?

目が見えない人は耳が発達すると聞く。
授業中にノートを書くことに集中すると、内容が頭に入ってこない経験をしたこともある。
(逆説的に、ノートを書かずに集中すれば情報が頭にのこる)
あることで失うことって他にもたくさんあるよなぁ。

そういえば、文字を持たない人が身近にいた。
フィジーの人たち。
(注:今は英語が公用語となっているので読み書きができます)

彼らは、右脳的能力が飛び抜けて発達している。
歌がめちゃくちゃうまい。
踊りがめちゃくちゃうまい。
運動能力半端ない。
言葉を覚えるのめっちゃ早い。(日本語すぐ覚える)

逆に計算能力や時間管理など左脳的能力はいまいち。
(もちろん人によりますよ)

そんなフィジーの人たちの特徴。
それは、とにかく幸せオーラ全開だということ。

サイクロンが発生し、街が水没しても、
彼らは奇声を発しながら、
家の屋根から庭に向けてダイブする。
今、ここにある幸せを掴む天才とも言える。

そんなフィジーには1年間いたけれど、
幸せってなんなんだろう?
って考えさせられる1年だったなぁ。

そして、同じような思いをした北海道の2日間。

周りの環境には全て神様(カムイ)が宿っているという信条。
その考え方も、文字ではなく、歌や語りで口伝されていく。

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文字のない彼らの生活は、僕らでいえば非効率で不自由に見える。
しかし、アイヌ文様や、踊り、歌の素晴らしさに触れた時、非効率や不自由というのは、あくまで僕らがかけている眼鏡での見え方かも知れない。
そんなことを思った。

彼らにとって幸せとはなんだろう?
僕らにとって幸せってなんだろう?

便利なことだけが幸せではない。
それは確実に言えることだと思っている。

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