彼の歌

andymoriのアルバムandymoriを初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れない。2022年春頃だったと思う。高校へ向かう電車の中、憂鬱な気分に沁みていく彼らの歌を繰り返し聴いた。

なんだろうこの若さは、勢いは。『FOLLOW ME』の心を騒ぎ立てるドラムから始まり、僅か1分半の曲で終わる。苦しい現実と優しい言葉が混在した曲達が、まさにすごい速さで過ぎ去っていくアルバムだ。それは当時過ごしていた日常と重なり、心を騒ぎ立てた。

だからかもしれない。小山田壮平ソロを聴いた時、andymoriを聴いた時のような衝撃は走らなかった。andymoriの若さや勢いをその時は感じられなかったからだ。

だけど、最近になってようやくソロ、あるいはALの良さを感じられるようになってきた。言い方を変えれば、andymoriとの共通点を見つけられたと言うこともできると思う。


andymoriを聴いた時に感じて若さや勢いの正体は、もがいても音楽には何もできないという焦燥感だったんじゃないのかと思う。

ー『楽園なんてないよ』/Life Is Party

ー『西通りを過ぎれば憂鬱を運ぶバスに乗れと脅される』/everything is my guitar

厳しさで心が締め付けられる。このことを歌にしたって、現実はなにも解決しない。

ー『100日1000日10000日たった後で きっと誰かの心に風を吹かせるんだ』/革命

一見、励ましのように聞こえる言葉だって、それは確かに見える希望ではなく、彼自身の祈りのようなものだ。現実が変わらない。

進みも退がりもしない。なにも変わらない。ただ辛い現実が続く。だけど、その辛い想いを分かり合えることこそが、私にとっての幸せであり、彼の音楽を聴く理由なのだ。


その進みも退がりもしない、現実を突きつけられるといった部分がandymoriを好きでいる理由だったんだと改めて認識した。加えて、その感覚はソロにも存在している気がしている。

『Kapachino』という曲がある。小山田壮平ソロ名義の曲だ。

一番では『「何かが違う」と考えたくてしかたないなら もう その恋は終わりにしてしまえよ』と歌う。のに、最後の方では『僕は君を呼ぶ 頼りないその肩を』と歌う。終わりにしたい気持ちと、まだ相手といたい気持ちとが混在しているように感じる。

進みも退がりもしていない、全く解決していない。「これだ!これこそ小山田壮平の歌だ!」と叫びたくなった。andymoriの頃から変わっていない。彼の歌だ。


そんなことを思っている中、ソロ名義での新しいアルバムの発売が発表された。嬉しい!彼の歌を聴けるということ、当たり前じゃない。彼が生きていることも、私が生きていることも。そんな些細な幸せが生きる意味なのかもしれない。

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