別に能天気に笑えている

 私は終わった、と思ったのは2022年の12月だった。今は2024年の6月なので、別に終わっていない。

 敬愛する藤原基央は「終わらせる勇気があるなら続きを選ぶ恐怖にも勝てる」と歌った。終わらせる勇気がなかった私であるが続きを選んだということだ。恐怖に勝てているとは言い難い。勝つとか負けるとか以前に戦わないようにしているというのが表現として正しい。
 仕事に失敗した。
 相対的には「別に?そんなもんじゃない?良いとは言わないし断罪する人はするでしょうけど、それがあなたの力量なので受け入れるしかないのでは?」くらいのことなのだが、私の臆病な自尊心は打ち砕かれた。正義を曲げて楽な方に流れた自分を許せない。醜い私はもう二度と堂々とお日様の下を歩けない。ちなみに9月に失恋もした(世間一般の結婚や出産をするならこれが最後のチャンスだったであろう)ので、まさに人生のどん底。家庭も持たず、仕事もなくなるかもしれない。「〜〜〜〜の末路」の、末路側の人生が始まったと思った。母親から北陸新幹線の切符が送られてきたので、ほぼ手ぶら(荷造りをする気力がない)で北陸へ旅立ち、飯山駅に迎えにきてくれた母の車ではずっとスピッツが流れていた。世は「silentブーム」の最中だった。悲しいことに今の私はあんなに好きだったスピッツを聴けない。
 物理的にずっと胸が苦しく、眠れず、食べれず、「うーーー」とか「あーーー」とかしか言えない娘(中年)を見て母は、「何があったか知らんけど、それ多分自律神経失調症だよ」と言って漢方薬を勧めてきた。正月休みの後も自分に与えられた仕事はある私は、なんとか自分を奮い立たせて職場に行った。
 年度末をどう乗り切ったかはよく覚えていないが、新年度になり、新しい人が来て、なんかいろんな人に世話を焼かれながら働くうちに私は成果を上げたりして、そうしたら認めてくれる人ができたりして、私は、笑えるようになっていた。担任してた子は進路を決めて卒業していき、手紙やら花束やらをくれて、何事もなかったかのように3年間は終わった。

 2024年になって、私は相変わらずへらへらと職場に通っている。職場のおじさんやおばさんは私に優しくしてくれる。この前まで学生だった新人が最近泣きそうになっている。もう二度と笑えないのではと思った私であるが、別に笑える。あのとき辞めていたら、今目の前にいる子たちには会えていなかった。しごできでなくても、人生の楽しみとかなさそうに見えても、毎日を生きているとそれなりに笑うことはできる。2022年の年末に北陸新幹線の切符を送ってきた母と、何かを察知して私に電話をかけてきて海に連れて行ってくれた父と、2023年に支えてくれた人たちのことを、私は忘れない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?