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翻訳ではなく原書で読む価値はあるのか
昨日ネオ高等遊民さんの次のツイートがあった
原典を読むとわかるって話は、本当によく言われるけど、誇大広告・信ぴょう性に欠けるとして、消費者センターが取り締まってもいいレベルの話。
— ネオ高等遊民🛺哲学youtuber (@MNeeton) December 6, 2023
「聞き流すだけで英語が話せるようになる」というくらいのおとぎ話だと思った方がいい。 https://t.co/WWiTxSYK6w
それに対して私は次の引用リツイートをつけた
翻訳している者としての実感から言うと、原典にあたればその作品の残りの2〜3%がわかる感じ。
— 高橋昌久 (@mathesisu) December 6, 2023
作品にもよるが日本の文学や哲学の翻訳は本当に優秀で、翻訳でも97〜98%はその作品を理解できる。
(続く) https://t.co/5p8a258Djt
このツイートが(私にしては)バズったので、この機会に外国語が原典の本を、翻訳ではなく原文で読むメリット、そしてその必要性についてまとめておきたい
まず一つ
原文を読まなければその作品は理解できない
というのは本当かどうか。これを「全く理解できない(つまり0%)」とするなら、そんなことは全くない、甚だしい暴論であると断言できる。翻訳でも十分に理解できる。というか日本の翻訳は優秀で、正直に言えば翻訳でも原典の97%くらいは理解できると思っている(もちろん翻訳の質や作品それ自体の性質にも拠るが)。また初訳のものならともかく有名な古典、例えば「純粋理性批判」「エチカ」「メノン」とかの超有名どころは何度も翻訳されているものである。版が重ねられることによって改訂されているし、違う人によって何人からも翻訳されている。それだけ質が向上していくものであり、研究も進み原文の行間の意味も次第に取り入れられていくことによって、直訳調ではない深みも取り入れた翻訳も出来上がってくる。翻訳でもそれらの哲学古典は十分に味わえるし、理解できると思っている。
問題なのは残りの3%である。
この3%のために原文で読めれるレベルにまで語学読解能力を身につける必要はあるのかということだが、仮にあなたが研究者であったり、研究者を目指している(大学院に所属している)のならば、原文で読まなければならない。
研究というのはひたすら細かく読んでいく作業であり、数時間かけて一ページとかザラである。400ページくらいの作品を2年かけてやるとかも普通である。なので、それくらいのレベルになれば、3%は死活問題である、と言えるだろう。なので原文を読まなければならない、少なくとも研究する対象の人物の言語は(カントならドイツ語、ベルクソンならフランス語という具合)。
問題なのはその作品が、あくまで「多数あるうちの一冊」に過ぎない場合である。それが研究する作品ならば、数年はかけたり、場合によっては一生涯かけて読むから原文で読むのは当然だが、人生でせいぜい二回か三回、場合によっては一回だけという場合はどうか、と聞くと翻訳で十分、と私は考える。翻訳の方が読むスピードが速く、誤読する恐れもない。そしてその程度の重要性しか持たない作品なら、正直3%というのはそれほど重要視するべきものとは私は正直思わないのだ。
また原文で読めば残りの3%がわかるようになると言ったが、それも原文とはいえ一読してわかるとも限らない。上の研究者の例にあるように、原文で舐め尽くすように読んで初めて3%がわかるということも多々ある。
原文で読むことになる最大の障害は、それが出来るレベルに達するのに相当時間がかかることである。これは誰しも認めるだろう。
「原文で読む」というのは、決して原典を数時間かけて一ページしか読めないということは含まれない。大雑把にせよ、一時間で原典を十ページは読めれなければならないと考えている。
私は英・独・仏を古典でもかなりスラスラと読めれるようになったが、そうなるために各々の言語の検定一級の長文問題を辞書なしで読めれるようになり、さらにそこから各々古典を5000ページ読んだことによってようやく読めれるようになった感じである。
それだけの労力を払わなければならないが、果たして3%はそれに見合ったものだろうか、ということである。
また原典で読むことにおいて見落とされがちな点があるが、原典をスラスラ読めれることは「手段」であり「目的」ではない。日本人は欧米語に対して盲従する傾向があり、さらに原典でスラスラ読めるに至るまでの労力がバカ大きいのでつい勘違いされがちだが、原文で読むのはあくまでもツールである。原文で読めた上で、そこから研究なり読解なり考察なりなんなりとしていかないと行けない。
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