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人生におけるCPU戦、対人戦


格闘ゲーム等においての対戦はCPU戦と対人戦に分けられる。
前者は予めプログラミングされたものを相手にするのに対して、後者はリアルな人間が操作しているのを相手にするものである。基本後者がメインで行われ、より臨機応変な反応をしたり勝つのにテクニックを必要としたりする。

このCPU戦と対人戦は人生というゲームにも存在するものと私は考えている。
人生におけるCPU戦の典型は受験である。受験は確かに同じ受験生と競うのだから対人戦とも言えるが、基本的に出される問題の範囲やその傾向等は予め決まっていて、事前に対策してルーティーンに基づいて戦っていくものである。
 会社で働き始めた頃もそうである。ある程度の地位までは基本的に与えられた仕事をこなすことになる。人間関係はそこまで考えることなく、与えられた仕事について考えながら黙々とこなしていくのがメインである。
 こういったCPU戦は要するに相手は変化しないということだ。こちらが何かをやったら相手もそれに応じて行動を変化させる、受験で言えばこちらが勉強して特定の分野が得意になったらそれまでになかった範囲のものが出題されるようになる、英語が得意になったら突然ドイツ語が出題されるとか、そういうことはない。

だが人は大人になっていき、相応に地位が上がったりレベルの高い仕事をしていくようになれば、対人戦的な赴きが出てくる。相手がどういう反応するかを伺い、それに応じて自分の仕事のやり方を変えたりしなければならない。典型的なのが会社人として切っても切り離せない接待である。位が上になればなるほど接待や飲み会をすることになり、それ自体が仕事になることもままある。相手が何を望んでいるのかを分析したり、出方を伺ったりしなければならない。騙されたりつけ入れられたりしないように注意しなければならない。
 商品の販売についてもそうである。ある程度上の立場になったり、社長になったりすると、市場を分析して、消費者がどういう行動をして、どういうものを好むかを分析しなければならない。消費者と戦う、というと変ではあるがとにかく相手の出方を伺うという意味でやはり対人戦なのだ。

対人戦というのは結局答えがないということになる。CPU戦だった場合基本的に決められた場合でやっていけばいいが、対人戦の場合こちらに合わせて相手もまた出方を変えたり成長したりする。絶対的に正しいやり方がない、とも言える。だから人の戦いは終わらない。

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