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「現代の」情報化社会

ネットがインフラとして当たり前のように発達している現代。そんな現代は「情報化社会」とみなしても何も間違っていないだろう。わからないことがあれば検索していつでも調べることができる。そのため人間が持てる知識の量はかつてないほどに多くなっている。

だが私は「現代の」情報化社会はそのような知識だけには留まらないと思っている。もっと深い、本質的な情報を得られ、「情報化社会」の意味合い自体が以前よりも深くなっているものと思っている。

どういうことから言うと、我々の得られる情報がリアルなものだということである。
特にSNSにおいて顕著なわけだが、SNS等によって人間の生々しい部分、昔だったら見ることのなかったような私生活な部分と接することが多くなったということである。例えばTwitterをやっていると人間の生々しい感情の発露が多く見れるようになった。また有名人ともSNSが存在していた前よりも距離感が近くなった。今までは遠い存在だったはずの有名人がかなり身近にいるようになり、直接的なやりとりもできるようになった。その有名人がどういうことを考え、どういう生活をしているのかもある程度わかるようになってきたのである。これは何も有名人だけではない。昔だったら知らなかったであろう友人の考え方や生活もかなり明らかになり、他にも自分の長年会っていない同級生・同僚が今どうしているかわかるようになった。

つまり、人間一般にしろ人間個別にしろ、人間と触れあいその生々しい姿を知ることが多くなったということであり、この意味でも現代は「情報化社会」であると言えるようになったのである。この「情報化社会」は人間のリアルな姿を肌で感じられるようになったということに大きな側面を持つ。

これは必ずしもいいことではない、無論いいこともあるが、そのトレードオフとして悪い側面もある。SNSがない時代に比べて相手のことをもっとリアルで知るようになったから、それだけ劣等感や憎悪を抱くことが多くなったのである。これはTwitterをやっている人間ならわかってくれるだろう。
インターネットが登場した当時は世界中の人間と垣根なく繋がれるようになるといった触れ込みで、決してそれは間違いではないが、相手のことをよく知るようになったことにより今まで以上に憎悪することも増えた。お互いのことを知らなければ仲良くなったいけただろう人間とは仲違いすることも出てきた。もちろん逆にネットでお互いのことをより知れたことによってより仲良くなれるようになったと言う側面もあるだろう。

いずれにせよ、我々は色々な意味での無数の情報が錯綜する中で生きている。この激動する現代において、そういった情報を収集し取捨選択できる者が勝てるのは言うまでもない。

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