一発書き日記2021/9/9

私は今アルコールを摂取している。芋焼酎のロックを2杯、銘柄は黒霧島、どこでも売ってて紙パックで捨てやすいから好き。それから缶チューハイ、ストロングゼロのシークワーサー味、すっぱいから好き。このストロングゼロを飲むのは久しぶりだ。弱いので、ストロングゼロを飲むと、飲んだ後気分が悪くなるような気がする。

実際に気分が悪くなるといえば、語弊があるかもしれない。ストロングゼロのせいであるとは言い切れない。おおむねストロングゼロを飲むに至るのは終盤で、なんか物足りないなぁと思った時に手が出るのがストロングゼロだからだ。

普段は芋焼酎だけで終わる。芋焼酎は良い。何も起こらない。ただ適度に気分が良くなって終わる。しかしながらそれでなんだか物足りないなぁという気持ちになった時にストロングゼロが登場する。

つまり、彼が登場するのはもうすでにある程度酒を飲んだ時なのだ。芋焼酎のロックを2杯かましてからやっとのことで登場する。そんなストロングゼロだけを、彼だけを悪者にしていい物だろうか。

彼はいわば遅れてきただけだ。ちょっと手が足りないから、アルコールが足らんから、来てくれないかと言われ、私からの連絡を、救援要請をこころよく受け入れてくれた気さくな奴だ。それにもかかわらず、彼を飲んだあとに具合が悪くなったという体験談だけで、私は彼をなんてやつだと糾弾するのだ。

ストロングゼロからしたら、なんたるあの、あれだ、言葉が出てこないが失礼な話であろうか。わざわざ呼ばれて出てきたのに、呼んだ張本人から悪人扱いだ。あんまりだよ。それは。

それでもこうしてアルコールに揺られてキーボードを赴くままに叩くと、非常に気分がよくなる。芋のロック2杯だけでは得られない感覚だ。キーボードが文字をうつ機械から打楽器へと変化する。

カタカタカタと小気味良い音を鳴らすこれを私はずっと叩いていたいなとおもう。叩けば音がなって文字がなり、画面に文字がずんずんと表示される、素敵な機械だ。

感謝を忘れて久しい人間だが、この時代に生まれたことに関しては感謝を欠かさない。もしも私が20年とか昔に生まれていたら、とてもじゃないが耐えられないと思う。

サブスクもなければブルートゥースも無い。げきおそのインターネットに選ばれし者だけが使えるパソコン。旅先で目的地を調べる為に地図をひらき、電車の時間を調べるべく時刻表とにらめっこし、道を間違えたらお終い。耐えがたい。

スマホの普及が無かったら、本当に地元の駅から一歩も出られなかったと思う。気まぐれに新幹線に乗り、水族館を見て帰るだけの最高な休日も送ることができなかっただろう。

なんとかウイルスのおかげさまで、普段外に出ていたんだなぁと実感した。インドアよりのアウトドア。どちらかといえばインドアオブインドアフォーアウトドア。別にインとかアウトとかじゃなく一人でぶらぶらするのがすきなだけかもしれない。

旅先で他人に合わせスケジュールを考える必要も無い。名産を食べなくても良い、名所を見に行く必要も無い。行きたい場所にぶらっといっていきたくなかったら行かなくていいそういう自由度の高さが性に合っているというか、不自由に耐えられない。

よく一人で旅行に行けないという人がいるが気持ちが良くわからない。ビジネスホテルの受付をボソボソとやりすごし、部屋にはいり荷物を放り投げ、近場のコンビニへ向かい酒とスナックや麺類を買って部屋に戻り封を切る瞬間など最高だろうに。

これは、しかし、私が2人以上の旅行が家族以外との経験が無いからそう思うのだろうか。今の一文は大分めちゃくちゃだな、アルコールが回ってきたのか、いやそれとももともと文才がないのか。どっちもか、わはは。

文才というものがよくわからない。文は技術で、ゆっくり考えれば誰でもできるものだろうと思っているから。それでも誌とか小説とかおもしろコラムを書く能力は私に無く、もしそれらに共通点があって、それが私に補われた時、おもしろい何かを生み出せるようになったら、それが文才と呼ばれるものだろう。

なにいってんの?