一発書き日記2021/9/13

机に山積みのCDとかみっぺら、もはや詳細すら覚えてないそれらを横目にyoutubeの動画を見る。かみっぺらとCDの山の所為でアンダーバーはほぼ隠れ、感覚にたよらなければどこにどのアイコンがあるかわからない状況だ。

こうした生活をしていると、どっかで聞いた実験の話を思い出す。腰に北を示す部分が常に振動するベルトをつけた人間が、そのベルトを着けるのをやめても北を常に正確に認識できたという実験だ。必要にかられれば人間は新たな感覚を取得できるようだ。

北を常に認識できるという機能はマジで便利だろう。オールウェイズ人間にすべて実装して欲しい機能だ。頼むよ神様、オールドタイプのアタシにもアップデートを頼むよローカライズで。

ところがどうだろう。私が身に着けたアンダーバーのアイコンがどの位置にあるか分かる能力は、何か活用ほうがあるだろうか。北を常に認識できる機能は地図を見る時に非常に役立つ。あのなんだか絶妙に使いづらい駅に設置された地図すら便利なものになる。ではアイコン認知機能はいかがか。

職場のパソコンではそもそもアンダーバーのアイコンの位置が違うため機能しない。現在の私のPCの配置、スポティファイ、クローム、itunesじゃなければ機能しない能力だ。さらにマウスの速度が異なる為あまり正確な動作は期待できないであろう。

ではなぜ一体私の体はこの能力を発達させたのか、それはやはり、私が今モニタの前に山積みのCDやかみっぺらを整理し撤去することが無い事を分かっているからだろう。しかしアプリを選択しなければならない。そして身に着けたのがこの能力だ。なるほど、私の体は私の事を良くわかっている。

CDをしまうという行為はどうしてこうもめんどくさいのだろう。CDを購入し、店舗であろうがアマゾンのような通販であろうが、手に持ったケースから一枚のディスクを取り出す。それをディスクトレーに置き、取り込みの設定を一瞥もせずOKボタンをクリック。ユンユンとディスクからディスクへデータがやりとりされているのを緑色のバーによって覚知し、終わったらケースに戻す。

この段階でCDとしての役目は果たされている。私は曲を聞きたくてCDを買った。これ以上このCDに払う礼節があるだろうか。そうなると必然CDはほいっとPC近辺に積み上がっていく。自然の摂理だ。

まってくれ、じゃあこのかみっぺらは何だ。重要そうなものもあちらこちらからこんにちはしているぞ。そうかわかった、この書類を処理するのめんどくささと放置してあとでどうにかなった時のめんどくささを天秤にかけた結果、放置した方が良いと思ったんだな、そうかそうか。

さっさと寝て、天秤のメンテナンスをしようと思う。