AVから始まる哲学

私がいつものようにAVを見ていた時の事。

普段は使えそうなシーンが見つかるまでスキップを連打するファイトスタイルを取っているのだが、その日はなんとなく会話的な部分だけ飛ばし、おっぱじまったら通しで見ることにした。時間停止物という未開の地だったからというのもあるかもしれない。

そのAVでは、時間を停止する装置としてストップウォッチの様なものを使用していた。一度押すと時間が止まり、再度押すと時間が動き出す。なんとも分かりやすい仕掛けだ。それが下半身丸出しの私を思考の渦に閉じ込めた。

時間を停止させ行為に勤しむ若人達が「反応みたいし時間うごかそへへへ」とストップウォッチを押す。しかし時間は動き出さない。なんとこのストップウォッチは電池式で、時間停止中に電池が切れた場合、もう二度と時間は動き出さないという代物だったのだ。

あれ?世にも奇妙な物語でシコってたっけ?と思うようなオチだ。と思っていたら本当にタモリのコスプレみたいな奴が出てきた。もしかしてと最初に戻ったらタモリのコスプレみたいな奴がすでに出てきていた。なんだ世にも奇妙な物語でシコってたのか。安心した。

もう二度と動き出す事の無い時間。その中で行為にいそしむ若人達。
ここで一つ疑問が浮かんだ。
時間が停止しているなら、彼らが体感している物は何だ。

彼らはやがて、時間が動き出さないことに気づくと思う。しかし、それには多少なりとも時間が必要だろう。時間は停止しているのに時間が必要なのだ。ならばもう気づくことはないんじゃないか。

もしかしたら、そのストップウォッチは彼ら以外の時間を止めるものかもしれない。であれば彼らと彼らでないものの境目はなにか。彼らが動かした椅子や肢体は彼らなのか。彼らから出た汗や精液は彼らなのか。下半身が丸出しという共通項を持つ、私と彼らの境目とは。

ここまで考えて、私はある考えに至った。
下着を履こう。少なくとも、これで私は彼らではない。
もう、私の下半身は丸出しではないのだから。