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噓石と思考の檻というお話

 いつの時代でも、頑固で強情な人間というものはいる。そういう人間は大抵、周囲のほのめかしや忠告に気が付かず、ただひたすら悪夢への道を突っ走っていく。確か銀河英雄伝説にもそんなキャラがいた。彼は最終的に、ブチ切れた主人公に戦艦ごと要塞備え付けの主砲で消し飛ばされた。
 戦艦に一緒に乗っていた乗組員たちにはいい迷惑である。

 さて、18世紀のドイツにもそのような男がいた。名前をヨハン・バルトロミュー・アダム・ベリンガーと言い、バイエルンにあるヴュルツブルク大学で医学部教授長を務めていた。彼は博物学者として、熱心に化石を集めていた。そんな彼が手に入れたのは、近くのアイベルシュタット山から見つかったという、三つの化石だった。
 写真が本に載っていたのを見たが、普段博物館などに好んで行く人はもちろん、現代では義務教育さえきちんと終えていれば一発で偽物とわかるレベルの代物である。なんせナイフの痕までついているのだ。だが当時は、博物館など存在せず(精々個人のコレクションレベル)、ようやく化石についての研究が始まりつつあった時代だった。
 彼はその後見つかった二千点ほどの化石を、興奮のあまり必要な研究をすっ飛ばし、書籍にまとめて発表した。この化石がどんなものかは本に書いてあったが、神(エホバ)の名前を記したプレートまであったというからすごい。無いのはノアの箱舟だけである。

 もしこの化石がホンモノであったなら、アメリカ南部に大勢いる福音主義者の皆さんが大喜びしたであろうが、残念ながら偽物だった。
 ベリンガー教授は頑固で強情な男性にありがちの横柄さで、同僚達を見下しがちだった。それにムカついたのが同僚で地理学の教授だったロデリックと、司書のフォン・エックハルトである。

 ちょっとあいつをからかってやろうぜ。

 彼らがその企てについてどんなやり取りをしたかは不明だが、多分そんなセリフも言い合ったに違いない。彼らは後にベリンガーのリューゲンシュタイン(嘘石)と呼ばれるものを作成し、山に埋め、噓石がベリンガーの手に入るように仕組んだ。最初はちょっとしたいたずらのつもりだったのだろうが、いつまで経ってもベリンガーは気がつかなかったばかりか、書籍にまとめて発表まで準備し始めた。焦ったのはロデリックとフォン・エックハルトである。
 彼らは、SNSで芸能人の彼氏持ちを匂わせる女性の投稿以上の匂わせをベリンガーに対して行った。化石は偽物だという噂を流し始めたのである。ロデリックに至っては、ベリンガー教授の目の前で化石を彫って見せさえした。普通はここで誰だって何かしらに気づくはずなのだが、悲しいことにベリンガーは何も気づこうとしなかった。
 ようやく彼が騙されたことを知ったのは、本が出版され、世の中に出回り始めてからだった。

 ベリンガー教授は裁判を起こし、ロデリックとフォン・エックハルトを訴えた。勝訴すれば自分の名誉が維持できる、自分が愚か者だということを歴史に刻むまいと頑張ったのだ。一応裁判には勝ったが、ベリンガー教授は生涯、自分が出版した噓石についての本を追っかけては購入し、世の中に出回らないように自主回収をしながら暮らしたという。
 そこまで努力したにもかかわらず、ベリンガー教授は愉快な化石贋作事件の被害者として、歴史に名を残すことになってしまった。
 現在この嘘石は433点が残っていて、ヨーロッパにある14の博物館の収蔵品となっている。

 この話からは読み手によってそれぞれ違う教訓が得られる。ある程度頑固で強情な人間に対しては、立ち止まって柔軟に考えることも必要だぞ、と説き、横柄な人間に対しては他人をあんまり見下すと痛いしっぺ返しがくるかもしれないぞ、と説き、宗教信者に対しては何でも神の行いにするな、と説き、そしていたずらを企てる人間に対しては、いたずらのやりすぎに気をつけろよ、と説く。
 実際、ロデリックとフォン・エックハルトが化石の贋作を二、三点でやめて、ベリンガー教授のところに行き、実はこれは俺たちの冗談だったんだよと謝ればここまで大事には至らなかったのではないかと思う。まさか君がここまで信じるとは思わなかったんだ、ごめんね。
 でも噓石は二千点近くが作成され、今でもなお四百点以上が現存している。たぶん、そこにはある程度の愉悦があったからに違いない。普段から自分たちを見下し、横柄にふるまっている奴が実は自分たちに騙されていて、あの偉そうに垂れているご高説には何の意味もないんだとわかっているとなると、おそらく快感でもあったし、楽しかっただろうし、ぞくぞくしたと思う。
 これでベリンガー教授が高潔な人柄で、普段から周囲の人間に親しみ、周りから尊敬されている人間であったとしたら、多分ロデリックもフォン・エックハルトもそんなことはやらなかっただろうし、やったとしても周囲の人間が必死になってベリンガー教授の暴走を止めてくれたのではないか、という気がする。噓石がホンモノだと信じていたのはベリンガー教授だけで、周りの人は全然本気にしていなかったとなればなおさらである。

 18世紀のベリンガー教授を、21世紀に生きる我々が嘲笑うことはできない。ベリンガー教授はその地位から察するに、当時としては恐らく最高の教育を受けたのだろうし、現代でも自分の考えに固執して悪夢へ突っ走る人間は多い。私だって時々一人で暴走して問題に突っかかることはよくある。おまけに、「選ばれた人や自分だけが知っている真実」「自分は時代の最先端にいて、新しい価値観を実現している」というのは、非常に甘美なものなのである。
 
 人の思考というものは、時々その人自身を閉じ込める檻となる。そこから脱出できるかどうかは、自分自身で檻を壊すか、差し出されている鍵に気が付くかにかかっている。そして、善意でもって鍵を自主的に差し出してくれる存在は、滅多にいない。なぜならば、ほとんどの人は檻の中の人に関心がないか、檻の中の人を見てあいつは間抜けだ、馬鹿だとゲラゲラ笑うだけなのだから。
 檻の中の人がもし、周囲にいる人に歯を剝き出しにして威嚇していれば、周囲の人は去っていくし、檻の中の人が冷静にここから脱出しよう、話し合おうとすれば誰かが目の前に鍵を落としてくれるか、差し出してくれる。
 檻の中の空気は、それに固執すればするほど甘く、香り高く、居心地がよくなっていく。それはまるで致死性のガスのようで、最終的には破滅へと至ることが多い。

 我々は皆それぞれの思考の檻を持っている。そこの鍵を持って自由に出入りできる人もいるし、閉じ込められていることに気が付かない人もいるし、脱出しようとして必死にあがく人もいる。檻から出ても、また別の檻へ入ってしまう人もいる。
 悲しいかな、我々は未だに猿の一種であり、そこに閉じ込められているにせよいないにせよ、動物園の檻の中にいる遠い親戚たちよりも強固な檻を持っているのだ。


参考資料:ホンモノの偽物 リディア・パイン著 菅野楽章訳 亜紀書房

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