作法のツインギター okuradashi01

人間長く生きていると、作法のようなものがいくつか生まれてくる。
と言っても、そんなにおおげさな話ではない。歯は右下の奥歯から磨きはじめて右上の奥歯で終えるとか、髭は朝ではなく夜入浴時に剃るとか、階段は右足から登り始めるとか、そんなたぐいのものだ。とくべつそれに理由があるとか、こだわりがあるとかいうわけではない。ただ、そういう暗黙のきまりごとがあると、ものごとはよりスムーズに、効率的にいくことがある。なにものにもしばられない、絶対的な自由というのも考えものだ。「今日はどの歯から磨こうか」といちいち悩む人生は、それはそれでたいへんだろう。

ちょっと高級な趣味になると、パスタを茹でる時にはブランデンブルク交響曲をかけるとか、朝の目覚めはインヴェンションとシンフォニアでとかいう人もいるらしい。こと音楽においては、そのような厭味な趣味はあまりない私だが、唯一家の中を掃除するときには、必ずかける盤がある。オールマンブラザースバンドのフィルモア・イーストにおけるライブだ。

天気のいい日曜日の午後、CDをセットする。デュアン・オールマンとディッキー・ベッツのツインギターが流れはじめる。二枚組の二枚目、一曲目は「ホットランタ」、アトランタの暑い日。電気掃除機のホースを握りスイッチを入れると、掃除機の轟音で音楽はほとんど聴き取れなくなるが、そらんじられるくらい聴きこんだ盤だから頭の中では演奏は継続中だ。安月給で首がまわらなくなっていることも、頭のおかしい上役のことも、親をないがしろにする子どものことも、ボケはじめた老親のこともだんだん遠のいていき、部屋の隅々まできれいに掃除機をかけることに意識は集中しはじめる。頭のなかはすでにからっぽだ。レスポールならぬバキュームクリーナーを抱えた日本人に、こんなふうに自分の演奏が「愛聴」されることになるとは、デュアンも想像だにしなかったにちがいない。

掃除がひとだんらくつき、掃除機のスイッチを切ると、ライブはまだ続いている。アルバム全体のハイライト、「ウィッピングポスト」だ。「なんでだろう、ほんとに死にそうな気分だ……。クソ、あのアマただじゃおかねえ…」。ミソジニーな歌詞…いかにもアメリカの荒くれ野郎の歌だ。

二十歳そこそこでオートバイ事故で死んだデュアン。そしてベースのベリー・オークリーも同じくオートバイ事故でその後命を落としている。酒とブルースとスピードにまみれてあっという間に燃え尽きた彼ら。彼らも、長く生きていれば生活の作法ができただろうか。東京の夏も、アトランタにまけないくらい暑い。

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