コロナ禍で躓いたきみたちへ

コロナ禍で躓いたきみたちへ

村上春樹の作品には、世間一般に浸透する支配的な価値観・道徳観(モラル)から否定された体験を持ち、そこで受けた傷の痛み(喪失、疎外、損なわれた感覚etc)に耐え、自分で自分を律する格率(マクシム)を支えにして生きている人物がよく登場する。

専門性の高い職種につき、食事、洗濯、掃除など日々のルーチンを丁寧にこなし、芸術を愛し、周囲の人間には対して礼儀をもって接し、控えめに生きるひとたち。彼らの多くは、なんらかの形で「損なわれた感覚」を抱いたまま、あやういバランスの上に生きるひとたちだ。

理由も不明なまま妻に去られた傷を抱える『騎士団長殺し』の主人公の画塾講師、ゲイであることをカミングアウトしたために家族と溝ができてしまった「偶然の旅人」のピアノ調律師、生まれも育ちも東京なのに完璧な関西弁を身につけているややこしい友人を持つ「イエスタデイ」の孤独な語り手の僕など。この、繰り返し登場する「あらかじめ損なわれた体験を抱えて生きる人たち」は、なにを示唆しているのだろうか。

コロナ感染症は、さまざまな局面において、わたしたちの人生に深い傷跡を刻み込んだ。肉親の看取りの場に立ち会うことができなかったひとたちもいる。職を失って路頭に迷うことになってしまったひとたちもいる。もちろん、命を落としたひとたちもいただろう。そうしたなかで、私が気になっているひとたちのなかに、コロナ禍の最中に入学した大学生たちがいる。

コロナ感染症によって、大学が立ち入り禁止になり、多くの大学生が、入学時にキャンパスに足を踏み入れることなく、入学式も経験することもなく、オンライン授業での受講となった。本来であれば、キャンパスに集い、サークルに入り仲間と出会い、恋愛を経験し、青春を謳歌するはずの時期に、その最初の機会を失ってしまった。

地方から出てきて大学生活を一人暮らしではじめた学生などは、周囲に知り合いもなく、友人をつくる機会も得られず、家に閉じこもり精神的な病を抱えることになったかもしれない。学業のかたわら、アルバイトで生活費をまかなう必要がある学生の場合、アルバイトの口がなくなり、収入の道が途絶えて授業料を払う見込みが立たず、中退を余儀なくされた学生もいるかもしれない。彼ら・彼女らの置かれた立場のつらさ、心細さは、察してあまりある。

この1、2年の間に大学に入学した世代が、これからどのような道を歩むのかはわからないが、就職氷河期にぶつかったロスジェネと呼ばれる世代と同様、新入生時に友人たちとの交流の機会を失い、孤独を抱えたままの日々を過ごしたがゆえに、人とのつきあいがうまくできなかった一群の若者を生み出すことになるかもしれない。そのようにして、次の「失われてしまった世代」が生まれてしまうことを憂慮している。

ロスジェネ世代、つまり就職氷河期時代に就職戦線にのぞみ、思うような職につけなかったり、不安定な非正規職にならざるをえなかったり、あるいはフリーターとしての境遇に身を投ぜざるをえなくなったがゆえに、その後も不遇感をぬぐいきれず、わだかまりを抱えて生きることになった世代。たまたま生まれた時代が悪かったとしかいいようのなく、本人たちにはなんの責任もないことであるにもかかわらず、そのツケを負わされたという被害者意識にとらわれて、自由に生きることができなくなってしまった人たちを目にするたびに、悲痛な思いにかられる。この世代をいまからでもケアすることが喫緊の課題であるとして、こうした悲劇的な世代をこれ以上増やさないようにする方法はないのだろうか。

視点を変えてみるならば、このような青年期における孤独や、損なわれたという感情は、人間の成長過程においては必然的に迎えることになるものとも言える。どのようなタイミングやシチュエーションでそれを迎えるにせよ、いずれはその孤独の時期をすごし、そこから抜け出す過程を経ることが、人としての成熟の道筋ではあるはずだ。

村上春樹の短編「イエスタデイ」にある主人公の言葉に、下記のような記述がある。

「でも自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、僕がどこまでもひとりぼっちで孤独だったということだけだ。僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割って話せる友だちもいなかった。(…)だいたいにおいて自分の内に深く閉じこもっていた。一週間ほとんど誰ともしゃべらないこともあった。そういう生活が一年ばかり続いた。長い一年だった」

どうだろうか。この作品は、当然のことながらコロナ禍がやってくる前に書かれた作品であり、村上作品にかぎらず、歴史上数多あるビルディングス・ロマンのなかで描かれてきた心象風景でもある。こうした孤立感、孤独は普遍的なもので、その時代に特有の事情によって形態は変化するものの、本質的なところでは共通している。そして、それをどう乗り越えるかは個人の姿勢にかかっている。周囲からサポートがあったうえで出来ることではあるにせよ(ウィズ・ア・リトルヘルプ・フロム・マイフレンド)。

こうした試練が、時代の巡り合わせによって、不当に割りを食わせるかたちで特定の世代にふりかかってくることがある。就職氷河期によるものであれ、リーマンショックによるものであれ、社会的な事情により理不尽な扱いを受け、自らにはなんの落ち度もないにもかかわらず、不本意なポジションにおかれたり、差別的な扱いを受けたりする人たちが多く生まれてしまう世代ができることは、ままある。彼ら・彼女らが、そのことに対して異議申し立てをし、反抗し、社会に対して補償を要求したりすることは、当然のことだ。その権利は確実にあるのだから。

それを前提にしての話だが、その時代的な要因から受けた傷に、過度にこだわり、「居着く」ことは、当人たちにとってよい影響をもたらさない。過度なレベルで「自分が被害者である」という意識にとらわれることは、いまおかれている過酷な環境から、自分自身抜け出すことをさまたげることにつながる。自縛の罠にとらわれると言うか。

「父がわたしにそれを強いたから。父がわたしにそれを禁じたから」(内田樹「邪悪なものの鎮め方」)

この精神分析で言う「父」の存在を呼び寄せているのは、責任を転嫁する欲望にはまっている自分自身なのだ。

こうした自呪自縛からいかにしてのがれるか。損なわれた存在から、いかに回復するか。それはどのようにして可能か。

「偶然の旅人」の主人公のピアノ調律師は言う。

「短いあいだに僕の人生はがらっと変わってしまったんだ。そこから振り落とされないように、なんとかしがみついているのがやっとだった。すごく怯えていたし、怖くてたまらなかった。そんなとき、他人に説明なんてできない。世界からずり落ちていくような気がした。だから僕はただわかってもらいたかったんだ。そしてしっかり抱きしめてもらいたかった。理屈や説明やら、そんなものは抜きで」

もっとも親密な関係にあった姉から、必要なときに(ゲイであることをカミングアウトしたおかげで周囲から孤立してしまったときに)受け止めてもらえず、深く傷ついて経験をもつ彼は、その痛切な告白をしたあとで次のようにも言う。

「いいんだよ。べつに泣くことなんかない。僕だって良くなかったんだから」

「僕だって良くなかったんだから」。そう言える彼は、すでに被害者の立場から脱して、彼をなじった姉のことを気遣うことができる人間に成長している。それまでに10年ほどの時間を(物語のなかでは)要したにせよ。

コロナ禍で、大学生活にうまく入れなくて、苦しんでいる世代。孤独、孤立に悩んでいるいまの大学1、2年生たちに伝えたい。いまきみたちがぶつかっている困難は、コロナという不可抗力の存在によるものであるにせよ、コロナがあるなしにかかわらず、なんらかの形で降りかかってきたはずのものなんだ。だから、できればなんとか自分の力を信じてそのキツさを乗り切ってもらいたい。

たまたま大きな横波をかぶってしまって困難な地点からのスタートとなってしまってけど、それもなんとかうまくクリアできたよねと、同じ体験を共有する同胞たちとねぎらい合い、笑い合える日々がいつかきみたちにもかならず来る。すくなくとも大人世代のひとりとしてはそれを願っているし、そのための支援も惜しまないつもりでいる。

健闘を祈る。

(20220311)

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