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履歴書を詐称して見えたこと

 皆さん、履歴書を詐称したことありますか?僕は実はあります。
 今回は、昔の思い出話をひとつ。

 19歳の冬、僕は札幌の大学に通う2年生で毎日鬱々していました。この時の僕は、自分がFTMとして生きていくかどうかをゆらゆら迷ってました。先延ばしし続けていて、これ以上後回しにできない問題だなと自覚はしてました。だけども、そうなんだけども、良くわからなくなって、子どもの頃からずっと憧れていたヨーロッパに行こうと思いついたのです。絵に描いたような現実逃避ですね。そこからすぐに休学手続きをして、資金調達のために一日15,6時間のバイトを週6くらいで入れた気がします。つまり色んなバイトをしたわけなんです。
 ホテルの清掃、レストランのキッチン、居酒屋、テレアポ、回転寿司店の厨房、ホテルのフロント、工場のバイト――。
 この頃、僕はひょんなことから自分のパス度(自認する性別として他人から認識される度合い)が高いということを自覚していて、これらのバイトすべて男性として働いていました。性別を詐称したんですね。

 その中の一つ、焼き鳥パブ(なんだそれ)でのバイト経験が忘れられません。すすきの4丁目にあったその店の店員はすべてイケメン、というか陽キャというか、簡単に言うと店員目当てに来る若い女性もいたりするようなそんなお店でした。店員の誕生日とかにプレゼント持ってきたりするんですよね。店員の方はお客様から一杯500円でショットもらって、売上に貢献するみたいな。メニューとかは普通の居酒屋のそれなので、そういう側面を知らずに利用するお客様ももちろんいましたし、そういう方が大半でした。

 僕が入ったときのメンバーはガングロのマッチョのギャル男君とか、端正な顔立ちの背の高い無口キャラとか、カラオケガンガン歌うような陽気キャラとか――お店にカラオケがあってスタッフも歌うことがある――とにかく個性が強くて、場違い感が半端なくて、当時二十歳の僕は「大変なところに来てしまった」と思ったものです(最終的にはみんな大好きになって、みんなと仕事できたことは良い思い出です)ちなみに僕は雰囲気がハリーポッターみたいだということで「ハリー」というあだ名を付けてもらいました。

 そんな愉快な職場で僕は、接客をすると “詐称”がバレるなと思ったのでフロアではなくキッチンで働いていたのです。

 僕に仕事を教えてくれたのは、2つ年上のケンさんという先輩。その指導は、まさにスパルタでした。無駄な動きで立ちまわると容赦なく怒号が飛んできます。というか冷静に詰めてきます。

「ハリーはさ、大学行ってんでしょ?なんで中卒の俺より仕事できないの?」

 この時いつも目が座ってるんです。胃がキリキリしました。でも当時僕は素直でいい子でしたから、一生懸命頑張って一通り仕事ができるまでになります。オーダーを覚えることも、効率的に動くのも反復すればスムーズにできるようになるんですね。だけど一番、僕が最後まで難しいなと感じたのが“力の入れ方”でした。

 オーダーをこなしながら、調理用具やちょっとした食器を洗うことがあって、ケンさんはそれを一瞬で洗い終えることができるんですが、僕はケンさんの動きをマネしてもできないんです。汚れが残るのです。ケンさんの動きは、泡のついたスポンジでお皿のふちを一回ぐるり、次にお皿の中心をくるりと擦る、そしてすぐさますすぐ。「いち、に、ジャ~」みたいな動きです。それをものすごい高速でやるわけです。2.5秒で一枚と言ったところでしょうか。なぜなら、仕事がもう恐ろしいほど山積みなんです。週末ともなれば、みんなすすきのに飲みに来ますから、食器洗いごときモタモタやってる場合ではないわけです。

 洗ったら次のオーダー作って、火にかけてる間に揚がったポテトを塩を振ってすぐに出す。声を張り上げフロア呼んで、料理を運んでもらう。厨房に戻ってくるついでに、から揚げの鶏肉を冷蔵庫から持ってくる。空いたフライヤーに鶏肉を入れて揚げ始める。先ほど途中まで作っていた料理を仕上げてフロアへ託す。帰りに焼き場に寄って、焼いている焼き鳥を裏返す。厨房に戻ってくるときに食器を持って戻る。こんな具合です。
 だから僕も急ぎます。焦っているといってもいいでしょう。だけれど僕が食器を洗うと、汚れが残るんです。つまり力がないんですね。ケンさんは簡単に擦っているように見えるんですけど、僕は男性と同じようにいかないわけです。例えば彼が80の力で汚れを落としているなら、僕は120の力を込めないと汚れが落ちないわけです。僕は“詐称”がバレるわけにもいきませんから、もう必死に120の力でぎゅ~って力を入れて「いち、に、じゃ~」をするわけです。涼しい顔をしているケンさんの横目に、ふうふう言いながら仕事していたんですね。

 毎日ヘロヘロになって賄いを食べながら、なるほどこれが男性として仕事をすることなのかと実感しました。身体の作りがそもそも違うんだなってことを体感出来てすごく腑に落ちたというか。切ないんですけど、張り合うとかそういう気持ちは一切なくなりました。

 それからもう一つの発見というか思い出もここで話しておかなければならないかなと思います。

 この時のスタッフ全員20歳前後の男の子たちでした。だから会話の内容も性のこととか、女性のこととかが多かったんです。当然みんなは僕を男性として見ているわけですから、話を振ってくるわけですね。でも“詐称の身”では到底着いていけない部分が多々ありました。
 彼女のことを「俺の女」って呼んだり、セックスがしたくてむしゃくしゃするって更衣室で暴れてたり、そういうのは全然良くわからなくて、でも僕は「これが男なんだ」って思いました。だから自分もそういうふうに振舞う方が良いのかな?って思ったりもしたんです。僕は性自認が男性なので、身体は男になれなくても心は男になりたいと思っていたから。でもやっぱり、彼女のことを「俺の女」とは言うのは違和感があったし、別にセックスしなくてもイライラなんかしないし……。この時僕は、世の中のすべての男性たちから置いていかれたみたいな気持ちになって、凄く虚しくなりました。みんなで海に行こうって誘われた時も、凄く行きたかったけどどうしても行けないなって思って、凄く悲しくなりました。中々切ない思い出です。

 あれから約20年経ちまして、あの頃よりは色々と言語化できるようになって改めて思うのですが、僕が悲しんでいたアレは典型的な「マッチョイズム」ですね。あれは別に同調しなくても全然良いものだし、あのメンバーの中にもちょっと着いていけないなって思ってた人もいたかもしれません。この「マッチョイズム」が男性自身を苦しめることもあって、その時どんな風に気まずいかってこと、年月が経って理解しました。二十歳の僕はまさに、それを体験していたんですね。

 詐称は良くないですが(場合によっては詐欺罪に問われることもある犯罪です)この時の経験が、僕の今の“社会とか人を見る眼差し”に存分に生かされてるなって思います。

 ちなみにケンさんには最終的に「ハリー、フライパン振るの俺よりうまいじゃん!」って褒めてもらえるまでになりました。僕は今だにケンさんが今何してるのかがちょっと気になってます。元気だったら嬉しいです。


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