「ほんとうの言葉」と環境省の変質

 5月1日、水俣病公式確認から68周年の慰霊式典が、熊本県知事・環境大臣も列席して開催された。その式典ののちに開かれた懇談会の模様を、RKK熊本放送が報じている。
 なにが起きたのかは、文章よりも動画を見てもらった方がいいだろう。

 「この懇談会は水俣病慰霊式の後に、環境大臣が被害者団体の話を聞く場として毎年開かれています」とのことだそうだが、これまで、話を途中で遮った上に、マイクの電源を切るなどということは行われていなかったようだ、というのは、記すまでもない当たり前のことだ。
 そんな非礼なことを行えば、どのような種類の会であれ、場が紛糾するのは火を見るよりも明らかだからだ。まともに会を運営したいと思う人間であれば、発言の最中にマイクを強制的に遮断するといった傍若無人なことは行わない。

 この映像を見て、さまざまなことが頭をよぎった。それは、憤りというよりも、脱力混じりの悲しみという方が近い。やっぱりそうだったか、と、ついにこうなってしまったか、と。
 ただ、私の感慨を書く前に、懇談会にも同席されていた水俣の一般財団法人水俣病センター相思社の永野三智さんが書かれているXの投稿を引用させてもらいたい。そこで、その日会場でなにが起きたのか、それがどういう意味を持つものなのか描かれている。

 映像には、人前で話し慣れていないだろう松崎さんが、3分というきわめて短い時間のなか、どうにかこうにか伝えたい想いを組み込んだ文章を、丁寧に読み上げている様子が写っている。まさに伝えたいことの佳境であったろう、亡くなったお連れ合いのことを語っている、その時に、突然、話は遮断される。
 松崎さんの話の内容をなにひとつ聞いていなかったことは、その声かけのタイミングから明らかだ。そうでなければ、あのタイミングであんな機械的な言葉を挟めるはずがない。そして、その時の松崎さんの驚愕した表情。話の佳境で、言葉を取り上げられた驚きと無念は察するに余りある。

 人間は、と物事を単純化して語るのは慎むべきとは思いつつも、それでも、人間には大きく分けて、言葉を持つ人間と、言葉を持たない人間とがいる、と思っている。言葉を巧みに操り、文字の読み書きも話すことも書くことも苦にならないタイプと、そうしたことは苦手で、言葉は普段の会話で十分、日記や必要な書類以外に文章を書くなんて思いもしないタイプと。

 けれど、自分で言葉を紡ぐなんてことと無縁とも言える人でも、一生のうちに一度くらいは、自分の言葉で社会に、誰かになにかをうったえかけたい、伝えたい、と願うことがある。
 ふだん言葉を使い慣れていない人たちの言葉は、決して上手ではない。技術的には辿々しく、もしかすると文法的にはまちがっていたり、言葉の意味がおかしかったりするかもしれない。けれど、なにかに迫られて、どうしてもこれだけは伝えなくては、言い残さなくては、との強い思いに駆動されておりなされる言葉は、そういう技術的な稚拙さをはるかに凌駕する強さと美しさを持つことがある。
 結局、最終的に人の心を打ち、胸に深く刻み込まれるのは、理路整然とした、流麗な言葉ではなく、こうした魂を震わせながら生み出された言葉なのだ、と私は思っている。

 私は、原発事故からこっち、福島での対話集会を開いてきた。
 最初は一参加者にすぎなかったものが、やがて主催を引き受けるにいたって、現在も続けているのだが、なぜ、こんなに長く続けているのか。理屈はいろいろとあるし、その説明もできる。だが、究極的には、ひどく単純なモチベーションなのだと思う。
 私は、その場で生み出される、魂をふるわせる「ほんとうの言葉」が好きなのだ。
 決してうまくはないし、矛盾もしている、ときにつっかえながら、ひとつひとつ言葉を探して、ようやく自分の言いたかったことを言いあてた、その時の晴れやかな顔。ああ、これが風呂場を走りでたアルキメデスの「ユリイカ!」の表情だったに違いない。

 私は、水俣病のことをよくは知らない。松崎さんという方のことも存じない。けれど、あそこで読み上げられいた原稿は、ほかの誰にも語れない、松崎さんだけの「ほんとうの言葉」であっただろうことを確信している。
 それがあのように粗末に、まるでなんの価値もない雑音の録音のスイッチを止めるかのように打ち切られたことは、身を切るように悔しくて悲しくてたまらない。
 私が福島で、同じような場面に遭遇したとしたら、冷静でいられる自信はまったくない。誰にでもなにかひとつくらいは、自分の人生をかけても守りたいものがある。もし私にそれがあるとするなら、それは、間違いなく、たどたどしく語られる「ほんとうの言葉」だからだ。

 永野三智さんは、『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』という本も出されている。今回のできごとで知ったかたは手にとっていただければと思う。

 もうひとつ、今回の出来事で、「やっぱりそうだったか」「ついにこうなったか」と思ったのは、環境省そのものの変質に対してだ。

 環境省は、福島の復興業務にも深くかかわっている。そのため、2011年からこっち、継続的に様子を窺い知る機会はあったが、2019年頃から、環境省は、地元住民をみないで、東京に向けて福島復興をアピールしはじめている、ということを強く感じていた。それは、現地事務所にいた環境省職員が、「本省の連中は、官邸の顔色ばかりを伺って、法の則まで踏み躙ることを平気でするようになっている」と激怒する現場に遭遇した時期と一致する。

 この時期以降、環境省は、小泉進次郎環境大臣のもと、福島復興大キャンペーンとリスコミ広報をはじめていた。そのどれも、地元の人間の存在など目にも暮れないで、「福島の復興に尽力する東京の政治家」が、福島県外の有権者に「福島を助ける僕」アピールをして賞賛され、好感度を上げ、きもちよくなるためだけの内容であったし、今もそうであると思っている。

 その地元民軽視の姿勢は、それ以前の環境省の姿勢からみても、驚きを覚えるほどで、環境省という省庁の変質を感じさせるには十分すぎるものだった。
 そして、今回の水俣病患者への非人間的と呼びうる傲慢な対応は、その変質を確信づけた。

 環境省は、霞ヶ関でもっとも遅くできた省庁で、東日本大震災前は、予算規模も小さく、許認可権限をもっているわけではないので、利権についても疎かったのではないかと推測している。つまり、利権に食いついてきて利用しようとする人種への免疫もほとんどもたなかったはずだ。
 そうしたところに、あらゆるものを利権化し、それを自分の政治力に変換することに長けた有力政治家をバックとして持ち、被災地でもなんでも自己アピールにもちいることになんの躊躇いもない政治家が長として乗り込んでくれば、ひとたまりもなかったのではないか、と思う。
 環境省は、国民に奉仕するのではなく、政治力を持つ政治家に奉仕することを職務と心得る人間が、大手を振る省庁になってしまったのだろう。このあたりは、利権に食いつく人種の扱いを熟知して、うまく転がす術を身につけている経産省とは対極的に見える。

 いずれにせよ、環境省のなかの良心的な人は、休職や離職が相次いでいるとの話も聞く。こうしたことは、霞ヶ関のあらゆるところで起きているのではないか、とも思う。

 福島原発事故から13年。環境省の変質は、震災前の5倍規模に膨れ上がった復興予算がもたらしたものではないかと、私は強く疑っている。


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