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エッセイ: Twitter のおもいで

 もう正式名称が「X」に変わってしまったということなので、タイトルを「おもいで」にしても気が早い、ということにはならないだろう。

 Twitterのアカウントを作ったのは、東日本大震災のちょうど1年前、2010年3月だった。(多くのトラウマサバイバーがそうであるように、私もあらゆる出来事の時間基準が東日本大震災以前と以後とで区分される。)

 安東量子という名前は、その時期に考えついたものだ。今もそうだけれど、オンラインではハンドルネームを使うことが当時も主流であり、私もそうであった。なんとなくそれに飽きてしまい、次にハンドルネームを使う時には本名っぽいハンドルネームにしよう、と思って考えたのがこの名前だった。(由来は『海を撃つ』の後書きに書いたので、興味のある方は図書館ででもお手に取っていただければ。)その時に、この名前が自分の居場所になるんだな、と、なぜだかふっと思った。

 Twitterを本格的に使い始めたのは、少なくないユーザーがそうであったように、東日本大震災とその後の原発事故だった。多くの恩恵を受けた。現在につながる一連の福島原発事故後の私の活動は、Twitterがなければ始まらなかった。本も出していないだろう。それに、こんなに多くの人たちと知り合い、また助けてもらうこともできなかった。かんたんに言えば、Twitterなしには現在の私は存在しない。

 一方で、Twitterはその開始直後から常に私にとって、大きな災いをもたらすものでもあった。それもまた、原発事故後の私の活動に関連するものだ。以下、簡単に要約しておく。

 話は1986年に当時のソ連、現在のウクライナで起きたチェルノブイリ事故にまで遡る。1991年頃から、フランスを中心とした欧州の放射線防護や人類学・精神分析などのバックグラウンドをもった専門チームによる、ベラルーシのチェルノブイリ事故被災者支援プロジェクトが始まった。そのプロジェクト名はETHOS(エートス)と言う。当初は、ストーリン地区のオルマニー村という小さな村を舞台として始まった支援活動は、住民の被曝量を減らし、被災地域の生活を向上させることを住民と共に行っていく、という、分類すれば、協働型コミュニティ支援活動だった。3年の期間を経て成功裡に終了した活動ののちに、2000年代に入って規模と範囲を広げたCORE(コア)プログラムが、同じくベラルーシで実施された。

 どういう経緯があったのかは詳しくは知らない。その時期、欧州の左派・反原発運動の関係者のあいだに「原発事故の被害を過小評価させるために、チェルノブイリの汚染地に無理やり住民を押しとどめる、原子力ロビーの陰謀による活動が始まった」との噂が爆発的に広まった。その陰謀のプロジェクト名はETHOS(エートス)だ、と名指しされた。
 当時の反原発運動の潮流に乗り、陰謀論に過ぎないこの噂は、広く信憑性を持って語られるようになり、関係者は本国の国会で証言を求められるような騒ぎになった。関連する会議が開かれるたびに、反原発活動家が押し寄せ、乱入し、時に暴力沙汰にさえなったという。

 2011年の福島事故が起きたあと、私はたまたまオンラインを検索していて、国際放射線防護委員会(ICRP)が発行した、原発事故などの長期汚染状況への対応ガイドラインであるICRP111勧告を見つけ、そのなかに紹介されていたETHOSプロジェクトを知った。内容をみて、まさに原子力被災地で参考になる、私が必要としている内容の活動だと思った。そして、その名称をプロジェクトの自分たちの活動のグループ名にも使った。それが「福島のエートス」だ。

 2012年5月、Twitterで知り合った「福島のエートス」の活動を応援してくれている人たちが、東京での講演会を企画してくれた。その模様は、オンラインでも中継され、かなりの反響を得た。多くは非常に好意的で、その当時は末続での活動も始まったばかりに過ぎなかったが、オンライン上では大きな評判を呼んだ。

 だが、このことがフランスの反原発活動家のなかにも知られることになった。動きが早かったのは、フランスの反原発活動のなかに在仏日本人がいたからだった。彼は福島で開始された活動の名称が、「エートス」であることに気付き、ベラルーシで行われたETHOSプロジェクトと同じ主体による同じ活動が開始されようとしていると早合点した。そして、当時まだ欧州で広く信じられていた陰謀論そのまま、「悪の原子力ロビーが被災地の住民を騙して、汚染地に住み続けさせようとする活動を福島でも大々的に開始した」と喧伝し始めた。

 彼の主張は、メーリングリストを通じて、日本国内の反原発運動の一部の人々にも迅速に共有された。まだ原発事故の衝撃がおさまらず、人心の動揺も冷めやらぬなか、この荒唐無稽な主張をそのまま信じ込む人が大量に発生した。そうした人々はTwitterにも流れ込み、私を「原子力ロビーと共謀して、福島の子供を人体実験しようとする活動家」と名指しして批判する書き込みが溢れることになった。私のメンション欄は、それから数年の間、しばしばそうした人たちからの悪意あふれるコメントで埋まることになった。フリージャーナリストや、左翼系の記者からの取材要請も相次いだ。(取材の名を借りた吊し上げを行いたかったことは考えるまでもなくわかったので、すべて用心深く文言を考えた上でお断りした。しばらくの間、私は「マスコミ嫌い」と思われていたのは、このことが理由だ。)

 同じくらいに応援の声もあったので、マイナス面ばかりでは当然なかったのだけれど、こういう事情で、私はTwitter利用のごく早い時期から、恩恵と同時にその害悪の大きさも身をもって経験することになったのだった。私にとってのTwitterは、常に愛憎半ばする、そういう場所だった。

 さて、ここで話を終わらせてしまうと、原発事故のあとの反原発運動がいかにひどかったか、で終わってしまうので、もう少しだけ付記しておく。

 2016年頃から、原発事故のあと、反原発活動家と左翼が福島に関連するすべてのデマをばら撒いた、との主としての右派からの論調が主流となったが、デマ騒ぎのど真ん中にいた私から見えていた景色は、少し違う。

 上に書いたように、確かに陰謀論をそのまま鵜呑みにし、言いがかりというにも、あまりに荒唐無稽なデマを信じ、また広めた人は反原発運動のなかに少なからずいた。だが、それを止めようとした人も少なくない数でいた、というのももうひとつの事実だ。

 原発事故直後は、反原発運動が日本でも大きく盛り上がった。正直に言えば、私はそれを冷ややかに眺めていた。理由は単純に、東京で集会している余裕があるなら、生活が大混乱している被災地の支援を先にしてもらえないか、ということだった。そうした反発心から関心を払うこともせず、意図的に距離をとっていたため、原発事故後の反原発運動の潮流に詳しいわけではないのだが、その盛り上がりの中心にいたのは首都圏反原発連合という団体だったことは記憶している。当時、その運動が画期的であると言われたのは、旧来の左翼活動的な党派性の強い反原発運動ではなく、中道・ノンポリの一般市民をその運動に動員することに成功したことだと言われていた。

 「エートス」陰謀論は、反原発運動のなかで瞬く間に広がった。2012年の夏頃の時期だったように思う。多くの反原発運動にかかわる人たちが、次々とエートス批判を繰り広げるた。だが、そんななか、当時国内の反原発活動で最大の影響力を持っていた首都圏反原発連合は、私たちの活動内容を確認した上で、「被災地で放射線量の低減を行いながら、慎重に行う活動を支持する」とTwitter上で表明した。(当時、私たちの活動内容は、差し支えがあるもの以外は、ほぼすべてオンライン上で確認することができた。)

 その表明後、乾いた野に炎が燃え広がるかのような勢いで広まっていたエートス陰謀論は、勢いを失った。もちろん、それですべてのデマが否定されたわけではなく、信じ続けた人も多くいた(現在もいる)。だが、首都圏反原発連合のメイン支持層であったような、中道からノンポリのやや左派より、くらいの立ち位置の人は、陰謀論から距離を置くようになった、と、体感的には感じている。

 私のような立ち位置であちこちをフラフラしていると、反原発サイドの人にも少なくない頻度で声をかけられるものだ。直接顔を合わせたときに、反原発サイドの人から応援している、と言ってもらうことも少ない数ではなかった。
 こういうことを書けるのは、私だけだろうので、Twitterのおもいでとして、証言を残してきたいと思う。

 さて、私の巻き込まれたデマ騒動はこれで終わりではなく、その後2014年に、当時としては珍しい、Twitter上の発言に対する侮辱罪の刑事告訴にまでいたるのだけれど、それはまた別の話として置いておく。侮辱罪による刑事告訴は、まず警察に告訴状受理をしてもらうのが通常は困難なようで、それが可能だったことから、ここでもまた「エートスが国家権力を用いて言論弾圧を開始した!」という陰謀論が展開されてしまうことになるのだが、この一連の流れをTikTok向けの1分程度のショートムービーにまとめても、ストーリーの意味がわからない、と見向きもされないだろう。

 事実は小説よりも奇なり、というのは誠に正しく、Twitterを媒体として流布していった原発事故後のいくつかのストーリーは、その渦中にいた私から見れば、実態とはかけ離れているものもある。多くの人が語るからと言って、その物語が常に真なるものではない、ということだけは言えるだろうと思う。

(続く)

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