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ニュース✔︎:福島県民世論調査からみる風評対策評価

(画像と本文に関係はありません。なんとなくグワっグワっとアヒルの鳴き声を聞いて癒されたくなったので)

浜通りの火発損傷で東電管内の電力不足

県北で大きな被害が出ている今回の地震で、東電管内に電力を送っている浜通りの火力発電所が大きな被害を受けているとのことです。とりわけ、相馬火力発電所の被害が大きく、復旧の目処は立たないようです
これらの施設は、東京電力管内に電気を送っていますので、今後もしばらく東電管内も電力の需給が不安定な状態が続くものと思われます。

https://kahoku.news/articles/20220320khn000031.html

相馬の浜の駅は営業再開したとのこと。関係者の皆さん、大変お疲れ様です。

うちも被害の大きかった南相馬市鹿島に親戚もあるので、墓参りがてら様子を見に行こうかと思ったのですが、田舎の高齢親族はコロナにすっかり怯えていて、ワクチン3回目が終わってからでいいんじゃないのか、と言われています。
首都圏など都市部では行動制限をしない人が多くて感染拡大につながる場面も多かったのかもしれませんが、高齢者の多い地方では、行動制限をしすぎることによる弊害の方が、地域社会への将来的な発展への影響を含めて、大きなものになってしまったのではないか、との思いは拭えません。
テレビも専門家も首都圏発ですから、首都圏や都市部しか目に入らなかったのだと思いますが、メッセージの出し方が地方にとっては過剰になっていたという気がしてなりません。

処理水海洋放出の「理解広がらず」52.5% 福島県民世論調査

3月7日に出ていた記事です。
福島民報と福島テレビの福島県民を対象とした共同世論調査で、処理水の海洋放出について国内外での理解が広がっているか、との問いに対して、半数以上が否定的な評価だった、とのことです。肯定的な評価は、38.7パーセントです。

記事では「理解が浸透していないと感じる県民が多い」と書いてあるのですが、私は受けた第一印象は、「あれ、政府の取り組みを評価している人、増えてるよね?」でした。
よく言われることですが、こうした調査は、調査方法や設問の立て方で、その時点でのパーセンテージは変わってきます。ただ、継続的に調査している場合は、経時変化を抑えることによって傾向(トレンド)がどのように変わっているかを掴むことができます。これはとても重要なことなのですが、福島民報の記事では前回との比較をしていません。

昨年調査との比較

前回調査の記事は、民報のサイトでは検索をしても見つからなかったのですが、福島テレビのYouTube動画で残っていました。(2021年5月10日)

この時には、7割が「深まっていない」と評価しているので、1年弱で20%ほど減ったことになります。傾向として考えると、かなり減ったといえます。
この理由は、本当に政府の対応を評価しているのか、あるいは、以下に書くようにたんなる関心の薄れなのかはわかりませんが、双方かなという気はします。

それよりも驚くのは、復興政策の優先順位の変化

今回の調査では、期待する復興政策についても調査しています。 

2022年3月調査結果

これを見て、あれ? 「風評・風化対策」の解答が少なくない? と思って、前回調査と比較してみることにしました。これは一年前ではなく、昨年11月の岸田政権発足時の調査がありました。4ヶ月ほど前になります。

2021年11月の調査結果 

微妙に項目が違うのですが、風評被害対策26.5%で最多を占めています。
ということは、たった4ヶ月で半分に減っていることになります。しかも、今回の調査は、「風評・風化対策」で「風化対策」も含めてです。
今回新たに設けられている「帰還困難区域の全域の除染と避難指示解除」という選択肢は、前回調査の「すべての避難指示解除」と「除染」を合わせた数値と近いので、おそらく、ほぼ変わりないと思うのですが、風評対策への優先度の低下は、調査方法が変わっているのでなければ、びっくりする減少です。

調査方法が信頼がおけるものである、という前提の上で原因を考えますが、わずか4ヶ月の間に、実際の風評被害が劇的に減っている、ということは考えにくいです。なぜなら、以前の記事にも書いたように、現在の風評は、流通の問題として固定化してしまっているからです。

おそらく、原因は「関心の薄れ」だと思います。
ひとつには、だんだん飽きてきていたところに、オミクロン感染拡大やウクライナ危機などが重なったこと、その影響もあって、風評があるという報道が減ったことも大きいと思います。

報道が減ったことでこれだけ関心が急激に薄れたのだとすると、正直に言って、脱力以外のなにものでもないです。
風評については、ツイッターでは書いていたのですが、無限のマッチポンプが可能な被害でもあります。目に見えない、形に見えないから、「ある」と言い続ければどんどん被害を広げることが可能になります。
一方、その直接的な実際の経済的損害を被るのは、第一次産業に従事する農業関係者、漁業関係者、それから一部観光業等の従事者だけです。非常に不均衡な形で被害が出ることは明らかでした。
ですから、その実害を被る人たちの被害をこれ以上増やさないためにも風評被害がある、とイメージで議論するのではなく、被害を可能な限り定量化して実態を正確に把握しなくてはいけない、とずっと言い続けてきました。

ただ、残念ながら、「風評被害がある」と言えば言うほど、メリットを受ける人たちもいたのです。政治家とそれによって注目を得られる言論関係者です。
風評被害の大きさを強調すればするほど、そのぶん、東電や、また「風評加害者」に責任を転嫁し、それを批判することによって自分の存在感をアピールできます。また、加えて、風評対策として予算(広報費)を大きく得ることもできます。宣伝広報は、政治家としてみれば、被災地の味方をするふりをしながら露出を増やし、そのまま自分の政治アピールに使えますから、これほどおいしい仕事はない、というものでした。

注記しておきますと、現実に風評被害の影響を受ける農業漁業や観光業などの人たちは、過剰に騒ぐことが風評被害をさらに広げることを恐れ、気の毒なほど抑制的にされていたと思います。実際に影響を受ける立場の人たちが風評被害の存在を指摘することは当然の権利ですし、そこはなんら批判されるべきことではないと思っています。

政府が、福島復興を「国策」としてしまったことも悪く影響しています。復興が失敗してしまうとなると、国政の人たちの「沽券」「面子」にかかわることになりますから、そう言われるのを嫌い、福島の復興ができないのは「風評」のせいだ、と言われれば、潤沢な復興予算もありましたから、そのまま予算をつけました。
国策である福島復興の現状について、私が否定的なことを書くのを、ものすごく嫌に思い、眉間に皺を寄せながら読んでいる関係者もいるのだろうなと思っています。

(私は対応に役立てて欲しいと思って課題を書いているのに、そうした声を「潰そう」「なかったことにしよう」というふうに動くところが、この国の実に嫌なところだと思います。復興が成功したか失敗したかなんて、時間軸を変えればどうとでもなるのだから、気づいた時点で対応すればいいだけなのに、目先の肯定的評価のために、課題を指摘する声をうとましがって否定するから、日本はどんどん尻すぼみの負け組国家になっていくんだよな、と思います。私はそちらを心配しているのですが、国費でおいしい思いができる方たちは考えることが違うようで、既得権益の方たちは「身分」が違うなぁ、とつくづく思います。)

こうした危惧については、以下に書きました。

2016年以降、風評被害をやたらに煽る言説が大きく広がることになりましたが、それがなにをもたらしたのかといえば、ものの言いにくさの大幅な増加と、政治家の責任回避、そして、県内における過剰な「被害者意識の拡大(victimization/victimhood)」だけだったような気がします。
それによって、本来、目を向けなければならなかった帰還困難区域の将来問題や、処理水の対応への関心は向かなくなり、風評さえなくなればすべてがうまくいくかのような誤った認識が醸成されてしまいました。
すべてが世論頼みで動くこの国では、これは決定的な損失でした。
この間、失ったものの大きさを考えると、悔しい、という言葉もあまりに軽すぎます。

利権分配装置としての国際研究教育拠点

国際研究拠点についても触れてあるので、コメントします。
国際研究拠点の最大の問題は、ここに書かれてあるような、被災地の将来に資するためにどんな姿が望ましいか、と本来の目的に立脚して考えている人たちがほとんどおらず、たんなる利権分配装置と化していることです。
とりわけ、地元側で利権装置とみなす意識が強く、予算やポスト権限は欲しいけれど、いい施設にしよう、そのために汗をかいて知恵を絞ろう、と思っている人は、ほとんどいないというのが実態ではないでしょうか。
このままですと、行き着く先は、たんなる県内の上流階級利権クラブでの利権分配装置となって、復興にも利さなければ、まともな研究者も集まらない、統合される予定のこれまでの施設の成果も台無しになる、という非常に残念な結果になるだろうと思います。

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