福島の復興シーンのかかわる性暴力事件について (追記:復興シーンでハラスメントが起きるだろうと思っていた理由)

 福島復興をテーマに演劇活動を行ってきた劇作家による、被災地出身の女性への性暴力に対して、告発と提訴がなされました。

 告発された劇作家側は、全面的に否認し、法廷で争う意向とのことです。

 性暴力の被害に対して、第三者である人間がどの程度コミットすべきかは判断が難しく、書くことにためらいはあるのですが(第三者が介入することによって、被害者への被害がさらに拡大することを懸念しているのであって、「どっちもどっち」や「判断は司法にまかせるべきだ」と言いたいわけではありません)、福島の復興シーンに長くかかわってきた私の姿勢を書くことが、被害者の方のお力になることもあるかと思い、記しておくことにしました。

 まず、私は、被害者となられた方、加害者として告発された側、双方との面識はありません。共通の知人は探せば見つかるとは思いますが、これまで日常の付き合いのなかでご両者についてのことが話題に出たこともなく、直接、間接の被災地での活動での関係もありません。今回のことも、報道とソーシャルメディアで知ったという距離です。

 これだけ離れた距離感ではあるのですが、加害者側が全面的に争う意向である、ということは、今後、被害者の方はさまざまな面でおつらい思いをされることになるだろうと推察しています。今回、被害にあわれた経緯も、故郷の復興にかかわりたかったということからはじまり、告発を決意されたのも、今後、故郷の人がさらなる被害を受けないために、と言われていることから、福島の復興シーンが今回の背景に大きくあるものと考えています。長く復興シーンに携わってきたひとりとして、さらなるおつらい思いをされることを少しでも防ぐことにお力になれないか、と思っているところです。

 まず、第一に大切なのは、被害者の方には責任はない、ということです。告発されたことも含めて、非は一切ありません。一義的には、加害者に責任があるとはいえ、それをゆるしてきたのは、福島の復興シーンを含めた周囲の土壌です。そこで、さらなる被害者をうまないために、と行動に移されたことは、褒められこそすれ、誹られるいわれはありません。そのことは、まずお伝えしたいと思います。

 今回の直接の提訴の主因となった事案は、直接に福島の復興シーンがかかわる時期ではないようですが、踏み切るきっかけになったのは福島の復興シーンで予定されていた公演であったということから、復興シーンがまったく無縁であるとはいえない、と思っています。

 福島の復興シーンの空気感がどのようなものであるかは、私は、誰よりも熟知しているつもりです。そこで、このような事案が発生してもおかしくない、との思いはずっと抱いてきました。それが露見したのが、たまたま今回の勇気ある告発であった、というのが、私の抱いている印象です。

2022年12月23日:追記で、末尾に「復興シーンでハラスメントが起きるだろうと思っていた理由」を書き加えました。

 この先も、多方面に影響が出ることになるのではないかと思っています。そのときに、「余計なことをしてしまったのではないか」「自分のせいでこんなことに」と感じてしまうことがあるかもしれません。けれど、それも、被害者の方のせいではありません。上に書いたように、こうした事案が露見するのは、時間の問題だったのです。問題は、福島の復興シーン、そして、演劇界を含めた周辺の土壌ににあります。それに向き合うことを怠ってきたのは、ほかならぬ私たち上の世代です。

 福島の復興シーンで、この先、今回の告発によってなんらかの影響があったとしても、その後始末を引き受けるべきは、私たち、長く復興シーンにかかわってきた人間であり、また上の世代です。被害者の方は、気にされることなく、まずはご自分の身と、人生を守ることを第一に、ご自身の闘いを戦ってくださいませ。

 福島の復興シーンにかかわっている方のなかには、今回の報道を聞いて、きまずい思いを抱いている方もいらっしゃるのではないかと拝察します。
 こうした性暴力やハラスメントの事案は、残念ながら、矢面に立つ被害者の方がさらに傷つけられ、いやな思いをすることが一般的です。それでもなお、故郷の人たちをさらなる被害にあわせたくない、傷つけたくない、と行動に踏み切った被害者の方の思いを正面から受け止めていただけませんか。

 私は、自分の預かっている団体の主催する集まりで、福島の復興シーンにたずさわる若い世代の話を聞いたばかりでした。思惑や利害、こびりつくような地縁血縁、人間関係によって、ややもすれば、なにを目的としている復興なのかを見失いがちな私たち世代に比して、若い世代は、真摯に一途に、自分たちのかかわる地域の現状と将来を考えていました。
 私は、福島に復興というものが可能であるならば、それはこうした真摯な若い世代によってなされるであろうと確信していますし、また、そうあらねばならない、と思っています。
 上の世代のみなさまがたにとって、「復興」とはなんなのか、いまいちど考え直してみていただければとも思っています。

 この先、どのような展開になろうとも、私の思いは被害者の方とともにありたいと思っています。


追記:復興シーンでハラスメントが起きるだろうと思っていた理由

 このような事案が発生してもおかしくない、と思っていたのは、特定の誰かやどこかが思い浮かんでいるというわけではなく、福島の復興シーンの以下のような構造的な理由によるものです。

  1. 風通しの悪さ
     当初は「放射能」への温度差から生じていた語りにくさですが、現在は、ややもすれば福島の復興政策への批判ともなる意見は、被災地へのネガティブイメージを生んでしまうのではないか、ほかの人への批判になってしまうのではないか、復興へ水を差してしまうのではないかといった懸念から、表立って語りにくくなっています。
     復興当初の時期とは異なり、人間関係が固定化していることも、自由に語ることを難しくしています。
     また、こうした「語りにくさ」は、社会的により弱い位置にある人ほど強い影響を受けます。おそらく、次の項目で書くような事情で権力を握っている人たちには、まったく実感として感じられていないと思います。(むしろ「しゃべりやすい」とさえ思っているかもしれません。)

  2. 権力配分の不均衡さ
     福島の被災地に投入される資本は、ほぼ復興予算と廃炉予算のみとなっていることから、地域で発言力を強く持つのは、役所がらみと廃炉がらみの仕事に従事している人に限られてきます。予算を握る人間が力を持つというのは、世のどこでも同じだと思いますが、福島の被災地の場合は、民間の活力が弱まっているところに、復興予算が多額に投下されることで、復興予算の近くにいる人たちが圧倒的な力を持つ、といった、他の地域ではみられない権力配分の不均衡さが生じています。
     こうした権力構造で権力を持つのは、圧倒的に中高年以上の男性です。確かに、もともとの福島、浜通り全般、男尊女卑が強く、女性の社会的位置は低いものでしたが、たんに震災前に戻ったというのにはとどまらない、歪な権力配分となっています。

  3. 国家権力とのかかわりの強さ
     こうした事情に加えて、さらに事態を悪くしているのは、福島復興が「国策」であるがゆえに、国家権力があまりに近すぎることです。今回の劇作家も、内閣府と県庁が進めるプロジェクトに関与することになっていたようですが、「福島関連の支援者として一定程度名をなす→中央で福島応援者として認定される→復興予算での福島応援プロジェクトに声がかかる」といったルーティンができあがっています。こうしたプロジェクトにかかわると、地元メディアを含め、中央メディアもスクラムを組んで、福島復興の希望の動き、とばかりに持ち上げます。霞ヶ関の官僚はもちろんのこと、政務官、副大臣、大臣、県知事、なんなら総理大臣も次々とやってきて、あなたに福島復興がかかっています、とほめそやします。動く予算規模も、復興予算がだぶついていることもあって、かなり大きなものになることが多いです。
     今回の劇作家のハラスメント事案は、内閣府や県庁が肩入れをする前からはじまっていたようではありますが、国家権力がこれほど近くになって、おかしくならない人の方がおかしいですし、本件、告発がなくこのまま続けていたならば、より多くのいたましいハラスメントの被害者が出たと思うゆえんです。上記書いたのは、一例ですが、万事が万事、国家権力が間近にあり、そこにうまいこと食い込みさえすれば、あっという間に予算と名声と地位が得られる、というのは福島の被災地特有の事情ですし、人間をスポイルしていくものだと感じています。

  4. さらに、これに加えて「〈福島復興〉の大義のためなら、少々の問題は大目に見る」という空気感も蔓延しています。いっとき、いわゆる「ソーシャル・グッド」業界でのハラスメントが大きな問題になったことがありました。これとまったく同じで、少しくらい問題があったとしても「いいこと」をしているんだから、見逃してあげたほうがいい、といった全体の生ぬるい空気が、ハラスメントなどの問題行動を蔓延らせる温床になります。
     これは、私自身も必ずしも自信がないところで、自分でもふとした機会に「これ、自分で〈いいこと〉してると思ってるから仕事が雑になってるよね」「やっぱ、〈いいこと〉してると思っているから、失礼な態度をとってしまったのかもしれない」と振り返って、怖くなるときがあります。
     〈いいこと〉をしているという意識は、どこまでも人間を堕落させ、倫理意識を破壊していく、恐ろしいものだと思います。

  5.  こうした条件が重なっているところで、深刻な人権侵害、ハラスメントが起きない理由が見当たりません。必ず、いつか起きるはずだ、しかも、ぞっとするほど深刻な事態が。とずっと危惧してきました。
     こうした人権侵害のもっとも凄惨な被害者となるのは、必ず社会のなかで脆弱な位置におかれる人たちです。若者、女性、マイノリティです。ここ何年か、被災地の若い女性たちの友人知人も増えていますが、彼女たちがこうしたことに巻き込まれる日がくるのではないか、との恐れをずっと抱いてきました。
     人権侵害、そして、ハラスメントをなくしていくためには、現在の構造自体を変えていかなくてはならない、というのが私の考えです。

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