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今月のひと駅-2024年8月

新発田(羽越本線)

しばた駅 新潟県新発田市
大正元年開業

改築せずとも城下町の誇り

 旧来の「本線」である羽越本線から入る新発田市街の印象は、白新線から乗り入れる時とはずいぶん違う。白新線の西新発田駅界隈が、新興市街地として目覚ましく発展したのは前述したが、その華やかさのまま急カーブを切って新発田駅に入ってくるのに対し、羽越本線側は田んぼの中から俄かに古い家並みが発生して、さしたる賑わいも感じられないまま、ゆるりと駅構内に滑り込む。

 いわゆる昔ながらの都市駅の雰囲気で、構内は狭い地下道で結ばれ、0番線の切欠きがある西側の片面式ホームに沿って、長々とコンクリート駅舎が横たわる。かつては南東に向かって赤谷線が分岐し、白新線と合わせて3路線が十字に交錯する一大ジャンクションだった。

 しかし、赤字線の整理対象として赤谷線が廃止され、羽越本線の新津口もローカル化が進んで、構内はだいぶ縮小された。もともと新津とは違い、鉄道の現業機関が集中していたわけではないので、今では単に旅客専用の中間駅といった印象でしかない。

 溝口藩十万石の城下町である新発田市は、赤穂四七士の中でも人気が高い、堀部安兵衛の出身地としても知られる。それもあって、新発田城では天守櫓を含めた復元プロジェクトが進行し、周囲の遺構や古いまち並みを巡る観光は、歴史ファンの支持も得ているようだ。とはいえ、城の東側から新発田駅にかけての中心商店街は、街路も狭く、西新発田周辺の変貌ぶりと対照的に、モータリゼーションから取り残されての空洞化が進んでいた。

 この状況を打開するために策定された、新発田駅周辺の再開発事業は、ずいぶんと大掛かりなものだった。目玉となっていたのは、県立新発田病院の駅前への移転新築と、東西貫通の橋上式にする新発田駅の全面改築。この二つの施設を核にして、周囲の用地を公園、あるいは駐車場にして、車での利便性も高めようというねらいがあった。そのうち、駅前広場の拡張整備と病院の新築までは完了したが、駅舎の改築だけは、予算の確保がままならず、ついには撤回されたという。

 それでも、歴史観光のまちを印象づけようと、現在のコンクリート駅舎や駅前広場のアーケードに施された装飾からは、地元の意気込みが伝わってくる。新潟県や山形県では、平成25年からの観光キャンペーンに合わせ、いくつかの駅でリニューアルが進められたが、新発田駅もその一つ。形こそは変わらないまでも、見事にまちのコンセプトが表現されている。もとより、新発田城までは、商店街を挟んで2キロばかりある。今後は、この商店街が役割を分担しながら、城下町復元への歩みを進めるよう期待したい。

駅舎全景
新発田城

【2014(平成26)年取材】

『駅路VISION第20巻・白新/羽越線』より抜粋



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