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今月のひと駅-2024年6月

小城(唐津線)

おぎ駅 佐賀県小城市
明治36年開業

甘味を嗜む城下町へ

 佐賀県の二大都市を結ぶ唐津線、と表現するならば、都市間路線としてもっと活気があってよさそうなもの。だが、そもそもの生い立ちが佐賀と唐津を速達する目的ではなく、やはりこれも採炭路線だった。後で登場する筑肥線の伊万里方面も含まれるが、佐賀県北部は長崎県側にも跨る一大炭田で、明治の殖産興業路線に乗って早くから開発が進んだ。唐津線はその大動脈であって、沿線の多久、相知といったまちには、かつて多くの炭鉱住宅が並んでいた。

 その一方で、小城は佐賀や唐津と同様、古くから城下町として発展した所。平成に入って、南の牛津など、長崎本線沿線のまちとも合併して小城市が誕生した。こうなると、幹線沿いへ市街が移動するケースもあるが、新市ではむしろ、唐津線沿線の中心市街の方が、より活性化しているように見える。なんといっても、江戸時代から続く小城の和菓子文化は、佐賀県を代表する産業の一つだ。

 最大手の村岡屋をはじめ、まちの至る所で小城羊羹の看板を掲げる老舗がみられ、城下町の風情とも相まって巡るだけでも楽しい。店頭でお茶とともに試食を供してくれるところもあり、「昔羊羹」と「本煉り羊羹」の違いなど、それぞれの店ならではのうんちくも聞きながら甘味に親しむ時間は、なんとも優雅である。

 もとより、佐賀県の山あいはお茶の産地でもあるので、それに合わせる甘味は、羊羹以外にもいろいろ生み出されている。代表的なものに村岡屋の佐賀錦があるが、これは小豆入りの蒸し菓子をバウムクーヘン風のケーキで挟むという、和洋折衷の凝ったひと品。こうした甘味産業が定着した背景には、筑豊の飯塚と同様、炭鉱夫のおやつとして供されていた面もあるが、それ以前に、江戸時代の長崎街道が当時唯一の貿易ルートで、西洋の白砂糖が流通する幹線上に、小城城下町が存在していたことが大きい。そうした情報発信も含めて、小城駅回りは、明治の駅舎ごとリニューアルされ、伝統の厚みを感じさせる観光の玄関となっている。

 ところで唐津線は、佐賀市の西郊にある長崎本線の無人駅、久保田から分岐するが、全列車が佐賀駅から直通する。やはり現代の視点で見れば、都市間路線としての素養は残っている。久保田から分かれて最初の駅である小城はもちろん、多久を経由して唐津へと、快速列車を走らせれば一定の需要は見込めそうだ。今後、長崎新幹線の暫定開業もにらんで、佐賀県内では全県規模で交通体系の見直しが議論となりそう。中でも小城市や南の鹿島市方面といった、新幹線の恩恵を受けないエリアでは、速達性の代替をどう確保するか、真剣に考えなければならない。

【2019(令和元)年取材】

与謝野晶子歌碑もある駅前広場

『駅路VISION第27巻・西九州Ⅱ』より抜粋



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