ひとり親(母子家庭)育ちが思う「大事なのは正しい形の家庭ではなく、どんな形の家庭で育っても未来や安全や生活を保証されること」

こんな記事を読んだ。

正直「私が育った環境もわりと似ているー、結構ありじゃない?
これが新しいとか他と違うライフスタイルとして取り上げるとか、わりと今更感だけど『世間一般的』にはそんなにないのかな?」

と思ってコメント読んだら結婚もしないで産むのは「女の身勝手」「子供は両親揃った家庭で育ちたいはず。女が勝手」という「男性の名前からの」コメントばっかりあってこりゃあ少子化もするわって感じ。

これに近い環境で、三世代以上の働く女だらけの中、よってたかっていろんなマザー、シスター、アーント、グランドマザーに育てられた子供の自分としては。

「両親揃った家庭で育ちたい」なーんて思ったこと無いよ!

が本音っす。

収入の面では大変だったし、それで進路で悩んだこともあるし、母親個人の性格や経営能力の問題でかなり大変だったことはあるけど、そういうのは女の収入を低くする社会とか、家父長制で男による収入を前提にしてる社会とか、子供の進路を親の収入に依存する社会とかの制度を考えれば良いんであって。

そして父親がいたからって毒親だったり性的虐待する男だったり収入いれなかったりしたらいないほうがいいし、いたから必ずいいもんでもない。

収入と親の性格をのぞけば、たくさんの女の手で、いろいろな種類の女たちに育てられた自分は楽しかったし、厳しいこともあったけど、今にして思えばそれが今の自分の生きる力を作っているし、かなりのギフトだったんじゃないかと思ってる。

ここで自分の中での結論をいったん書いてしまうと
「大事なことは“両親が揃った家庭が唯一絶対のよい形で、子供はなんとかしてその形の中で産み育てるべき”ってことではなく、
“どんな形の家の子供であれその形であることで生活の質や未来や待遇を左右されないこと、虐待や無理解をする毒親や子ども自身が訴えているのでないかぎり、勝手にその環境で他人にかわいそうなどと言われないこと”」です!

中高生の頃、他の友達の「両親揃った普通の家」にお泊まりに行くことが何回かあって。

正直、自分に産まれたときにはすでに父はいなくて、母子家庭しか知らないんだけど、それしか知らないから自分がいわゆる世間の普通の家とは違う「可愛そうな子供」と言われる存在であることは知ってたけど、どう具体的にかわいそうなのかはわからなかった。

なので、「普通の家」に泊まりに行くとき、きっとなにかうちにはない「スペシャルに素敵なこと」が「普通の家」にはあるに違いない!って思って内心わくわくして心して行ったのだよね。

だけど自分のうちに帰るまで、とうとうなんもなかった…

普通にご飯食べて普通にオフロに入って普通に寝て普通に起きた…

当たり前なのだけど当時は「普通と違う自分の家」と言われるんだから自分のうちにはない何か特別にいいことが「普通の家」にはあるんだと思っていたのだった。

違うのは旦那さんとおじいさんがテレビの前にずっと座っていて、友人のお母さんが忙しく夕食の準備に立ち働いていて、祖父母用と旦那さん用、友人用と、数種類の夕食を用意していたこと。それくらいしか覚えてない。

あと、うちは田舎の八百屋と惣菜屋と仕出し弁当と駄菓子屋を合体させたような店を、女たちが集まって協力してやってて、なんとか生計を立ててたから、「普通の家」って家にいると暇でテレビ見るくらいしかやることないんだなって感想。

「家の中の仕事」が「生計のための仕事」も「家事」も分類されずただやるべきタスクとしてみんなでよってたかって回されていた生活と、「生計のための仕事」と「生活するための家事としての仕事」がはっきり別にされて別の人によって担当されているってのが異世界だったよね。

これはまあ特殊な環境もあるからそう思ったってだけだけど。まあ環境による感じ方の違いはあるだろう。つまりサポートがあったかどうかということ。

うちはそんな感じで常にいろいろな叔母や親戚の女たちがよく日々入れ替わり働いてて食事やお泊りしてたから、私と母親の間で衝突があっても色んな意見があって、味方になってくれることもあって、そうじゃないこともあったけど、母ひとりだけのライフスタイルと違う生き方をしてる女性もいて、いろいろでいいんだと思えてきた気がする。もちろん、旦那のいる普通の奥さんである叔母もいたけどうちに来て手伝ってくれてた。

サポートがないと回せない私の実家で、身内の女たちのサポートがあったからこそ色々な人の意見に囲まれて育った。普通の家では、多分たいがい二人の大人の親しかいない。

そんなの自分にとっては窓のない部屋と四面に掃出し窓のある明るい部屋くらい違って感じられる。

ましてやこれが母ひとりと向きあう閉ざされた家庭だったらと思うともうそんなの考えられない、ブルブルという感じ。確実に両方共病むって。

そうでなくて助かった。

問題だったのは常に「お金」の面であってあえて「父親と母親が揃ってて男親がいたほうがいい」なんてこと思ったことない。これはガチ。

とりあえずこの記事についているコメントは恨み半分で書かれてるようで、それはいいけど、それを表現するときに、「だってこういう家族のカタチが正義だから」とか「子供にはこれがいいに決まってるから」と自分のおキモチを勝手に唯一の正しさと称するのが、
女がひとりで子供産んだら女のわがままと決めつけて非難するのが、
ものすごい、勝手ですね。
そういうとこだぞ。いらないかもなって思われるの。そういうとこだぞ少子化するの。

それしか感想ないなー。かつてこんな環境で育った子供からの本音です。

まあたまたまうちは要因が重なってなんとかなったケースだから言えることって言われたら、それもあるかもしれないけど、だったらうまく行ったケースのようにやればいいってこともあるじゃん?

そしてその選択を「女が悪い!勝手!子作りと家族はこの形が正義って決まってるの!」って平気で言える人の「正しさ」って、結局自分に都合のいい社会の形態を保持したいから「勝手」で言ってるだけの卑劣にしか見えないなー。だって自分の望む社会の形を保持するために「ただその形で育って生きてる子供」を勝手に「かわいそう」って言葉で勝手に「利用する、使う」んだから。

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