なぜ理解ありそうなことを描く男性でも「女性側」だけに改善を要求してしまうのか


この鬼滅の解析そのものだけについては大変うなずけるし、同意見なのだけれども、この投稿に限らず、投稿主のかたが書いたいわゆる「フェミニズム」をめぐる社会の問題については、「男社会がやってきたことに対して声をあげる女達の問題」について意識が偏り過ぎのように見える。

いろいろな知識も豊富で、全体をよくしようという意図をもって語っている方のようではあるが、フェミニズムを含む問題について書いているときは、妙に「男を叩くだけの女達の失敗」について多く言及し、その女たちに上から目線でお説教的な文章が散見される。

それを誰に向かって読んでほしいと思っているのか不思議に思う。

炭治郎の持つ女性的リーダーシップを褒めるのであれば、そしてもしそういった女性たちに向かって言いたい気持ちがあるのであれば、実際この書き方ではそれにはあまり成功しないように思う。

現実に自分が説得されていない。別にフェミニズムなんて知らんけど複数の記事を読みすすめるごとに「ああこれは既存の、性犯罪やら女性蔑視で、女性に向かってだけものを言ってくるそこらじゅうにいるホモソーシャル男性と中身かわらないな。男の問題なのにまず男には言わないで女に向かって女の問題点を上から説教するんだものな。よくいる上司と同じ匂い」という感想が強くなって悪いが気持ち悪くなってしまった。

もしも炭治郎の共感性リーダーシップを良しとするのなら、まず自分がそれをやってみたらいいのではないだろうか。

「女性に」こうしたらいいのに、と説教するだけでなく。

そしてそれを良しとするのであれば、今でさえ現在進行系でリアルの犯罪でもネット上での罵倒でも、ホモソーシャル男性のミソジニーに傷つけられて自分を守ることに意識がいってしまっている女性たちの苦痛に、まず意識を向け、こうなるのも無理はないと理解すべきだろう。そしてまず問題を問題の主人公である男性に向かって語るべきだ。女に説教し意識をあらためさせたいというなら、それをしてからでないと成功しないだろう。炭治郎はそうやったのだから。

今のままだと過去の記事を読んでも「責めるだけでなく女達は社会全体を深堀りして語るべき」など、女側だけに有責のような文章が目立ってしまい、男性がよくない問題があるとしても女性だけに向かってなぜかものをいいにくる、結局は深い意識のところではホモソーシャル男性からアップデートできてない人、という感想しか持てない。

まあ面倒な人とは話したくないのかもしれないのでこういう感想を持つ人には読まれなくてもいいのかもしれないが、もしそうお思いなら、傷つけられ続けて怒りにまわるしかなかった女性たちに本当には伝えよう、寄り添おうという意識はないのかな?と思う。それは鬼滅の刃を褒めながらもその姿勢とはやってること違うな。

鬼滅の刃自体は素晴らしい、それは炭治郎の大きな共感性のゆえだ。

傷つきながらも声をあげ、声をあげたことでさらに傷つけられるしかなかったゆえに、怒りに追いやられていった側を、間違っていると責める観点ばかりを主に書き、少なくとも過去記事含め読んでみても、抑圧してきた側に向かっては同じだけそこでものをいってないので、

「鬼滅の刃自体は素晴らしいエンパワーを含む。それは本心では同じエンパワーの力を持ってない人でさえわかり、評価させるくらい素晴らしい」という感想になった。

記事が批判する「責めてばっかりいるような女達」も、ネットで観測しているとはじめは穏健に話をしていたのだ。しかし体制側が聞く耳をもたず変わる気などさらさらないので、罵声しか返ってこなかったので、怒るより他になかったというのが現実ではないか。

それではいけないので鬼滅の刃にあるような新しい時代のエンパワーを模索しよう、と忠告したいのであれば、体制側についてもなぜ変われないのか、新しい時代にそぐうよう変わらないければいけないと説かないといけないのでは?

一方側だけに変われというのではなく。

なぜ理解ありげな男性もこと「対女」の問題に対しては「女側」だけにものを言い、女に対しては上から目線で説教しか、とる態度がなくなるんだろうか?という印象が残った。

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