お金は愛
ご訪問いただきありがとうございます♪
私はお金の管理が上手く出来なくて
あればあるだけ使ってしまうタイプの人間です。
昔、企業に勤めていた頃
働いて得たお金の中でやりくりすることが
上手く出来なくて、世の中の人たちは
どうして決まったお金の範囲で
生活のやりくりをしているのか
本気でわからなくて悩み続けてました。
仕事へ通うことが苦しかった時期がありました。
仕事内容とか、人間関係とかいろんな側面で
仕事が嫌でたまらなかった時があり
仕事を休みたくて休みたくて💦
「病気になれば仕事休める!」と本気で思い
「病気」という現象を引き寄せし
入院した時がありました。
自分シナリオでは、病気になって
1週間くらい休めたら少し楽になる✌️と
設定していたのですが
いざ入院し検査を重ねたら
悪性リンパ腫と診断が下され
死ぬことは、生きることより恐い😱という
恐怖感を存分に味わうことになります。
癌を治療する大きな病院に移動し
検査を重ねた結果、
癌ではなかったことが判明し今に至っています。
その時、死ぬかもしれないと思う
恐怖感を味わうことで
世間一般的な女性のように働きながら、
家事しながら、自分で自分を賄うことが
出来ないのだと理解しました。
自分で働いたお金でやりくりする
管理能力がないことも
当たり前のように淡々と毎日働き続けることも
出来ない自分に気づきました。
もう、こんな恐い思いはしたくない‼️
もう二度とお金に苦労したくない‼️
だから、お金に苦労しなくても
大丈夫な男性を見つけ一緒になろうと
決めました。
出来ないことがあるのに
無理をして恐い思いしながら生きるより
出来ないのだから、出来る人を見つけ
そこをお任せ出来る人に
身を委ねようと思いました。
出来ないのですから
その「出来ない」椅子に座わったのです。
出来ない自分に責任を取ろうと決めました。
そうして、退院3ヶ月後には
私が無理して働かなくても
生活出来る能力がある夫に出会い
半年後に結婚していました。
意図はあっという間に具現化しました。
あれから24年、夫の経済力と
経済管理能力により
私は食べること、生活することに
困ったことはない生活をさせていただいてます。
夫に経済を任せる生活ですと
行きたいところ
やりたいこと
欲しいものは
夫に許可を得てすることになります。
「今日はお友達と◯◯に行きランチと
カフェするから交通費と飲食代ちょうだい🤲」と、何をするにも夫からお金をもらっています。
時より
「◯◯は行かなくていいんじゃない?」とか
「◯◯は買わなくていいんじゃない?」とか
反対されることもあり
やりたい、欲しい、行きたいと思う私にとって
夫の判断がケチに聞こえたり
ムカついて喧嘩になったり
私がやりたいと思っていることに
理解出来ない夫は私をわかっていない!
と腹を立ててました。
まわりの人たちがやるのに私はやれないとか
友達は行けるのに自分は行けない
と思う気持ちと葛藤の日々です。
自分だけ出来ない💧
自分だけ行けない💧
自分だけ買えない💧
と、思う気持ちは劣等感が出てきて
まわりの人たちに対して競い合いの
エネルギーを生みます。
そして出来ないことへの恐怖感に
苛まれるのです。
負けたくない
嫌われたくない
仲間外れになりたくない
などの気持ちでいっぱいになり
ムキになって「もっとお金が欲しい」とか
「私はお金が引き寄せ出来ない」と
出来ない自分を責めて
出来ないと嫌われると思うことへの
恐怖感でいっぱいになってました。
時が立ち、真実を知る為に
上手く出来ない自分を
濃く学んできたことに気づきます。
夫は私を理解してくれないのではなくて
お金の管理が出来ない私、
お金の使い方がわからない私の
境界線になってくれていることがわかりました。
お金を通して
夫の愛も知ることが出来ました。
夫と出会ってなくて
夫と生活していなければ
私はここまで超えてくることが
出来なかったと思っています。
夫には心から感謝しております。
夫が
やらなくていいんじゃない!とか
買わなくていいんじゃない!とか
言ってくれることは
本当にそれをやらなくていいことだったり
買う必要がないことであったり
夫の言葉を介して
私のわからないことに対してわかるように
代弁していてくれていることが
わかってきました。
そして更に
管理出来ない
お金の使い方がわからないからこそ
手元にあるお金が
私にお金の使い方を
教えてくれることに気づきました。
お財布👛になかったら
行かなくてよい
やらなくてよい
買わなくてよい
通帳にお金がなかったら
お財布にお金がなかったら
まわりがみなしていることでも
まわりがみんな買っていても
まわりがみんな行っていても
自分はやりたくないこと!
しなくていいことなのだとわかってきました。
出来ないことを
「出来ないです。」
「私はそれをやりません。」
「私はそこに行きません。」
「私はそれを買いません。」
と、言えるようになると
言えた自分にとても癒されます。
「やらなくていいんだぁ」
「行かなくていいんだぁ」
「買わなくていいんだぁ」
と、無理して頑張らなくていいと
思えるようになると体も心も緩まるのです。
手元にお金があるかどうかで
私は私のやれば良い行動を
お金に教えてもらいます。
それは無駄なことはしない自分です。
本当に必要なこと、必要じゃないことが
それをやる前にわかっているということです。
まわりを意識し過ぎた他人軸で生きていると、
まわりが普通に出来てることが
自分は出来ないと劣等感になります。
劣等感がメインの生き方になると
自分の出来ている良さに気づかず
悪い側面ばかりが目立った考え方に
陥りやすくなります。
隣の芝生は青く見える→他人が良く見える心理
です❣️
こうして、私はお金と言う物質から
自分の出来ないところを
出来るように教えてもらえていることが
わかるようになりました。
一緒に暮らしている夫が
私の出来ないことを助けてくれていることが
理解出来るようになりました。
お金に困らない人と
お金に悩む人といますが
どちらが正しくてどちらがダメなのではなく
どちらもお金に関する学びがあります。
お金が困らない生活をしている人は
お金をいっぱい使いながら
自分が本当に好きなこと、
魂の喜びを知る学びをしています。
わからない自分をお金を使いながら
自分探ししているのです。
自由になるお金が少なくて悩んでいる人は
お金を使うことに創造を膨らませまながら
本当に好きなことにしかお金を使いません。
ということは、本当に好きなこと
魂の喜び事をちゃんと知っていて
損がないように、必要なことにだけ
お金を使う人です。
無駄を嫌い合理的にお金を使います。
どちらも、お金を通して選択した学びです。
お金は「愛」です。
愛ある究極の物質です。
お金を通して自分を知り
お金を通して自分の学び方を知ります。
そして、この循環を受け入れて
お金は価値ある究極の愛であることを学び、
受け入れていけばいくほど
更なる自分に気づいて行きます。
私は
「転んでも損しない女!」と言われます。
何処に行っても
何をしていても、損のないように
帳尻合わせた行動をしています。
そこを常にクリエイトしています。
結構なお得体質ですし
本気で欲しいと思うもの
必要な物、行きたい場所は
具現化していく創造力があります。
そして結局はお金に困った暮らしは
しない自分をクリエイトしています。
他人軸から自分軸で生きれるようになってきて
人がどうしているか?より
自分がどうしたいか?がわかるようになり
比較することよりも
好きなこと、魂の喜びがわかっている自分を
優先し大事に思えるようになりました。
お金は愛ある境界線になってくれ
私を教えてくれる素晴らしい愛という物質です。
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