数学者たちの芸術性よ、花開け【AMC2022】
みなさんどうもハッピーハロウィン。過去を生きるアンドロメダです。
起きること自体は辛くないのですが、布団から出るのが億劫な時期ですね。年末になると光陰矢の如しを肌で感じるので、自分も歳をとったのか…とため息をつく日々です。(弱冠18歳)
この記事は、仮の人 (@kari_math) さん企画
「Advent Math Calendar 2022」の15日目の記事となっています。(3日ぶり2回目の参加)
この記事では、数学好きの読者の方々へ、「芸術」「創作」の良さをプレゼンしていきます。
半分は趣味紹介記事ですが、今後のAMCはおそらくもっと"ガチ"な内容の記事が続くと考えられるので、この記事は脳を休めるためのオアシスだとでも思ってください。
美と人類
数学にせよ芸術にせよ、人を惹きつける力は「美」であると言えるでしょう。
この記事をご覧になっているみなさんも、数学の中に「美」を感じたことがあるでしょう。それは単純明快な等式であったり、問題を解く過程で得られた整然とした解決感であったり、あるいは対称性の高い構図や方程式であったりするかもしれません。
あるいは、遊び心とでもいいましょうか、絶妙に好奇心や挑戦心をくすぐる問題に惹かれるという方も少なくないでしょう。
数学といえば「理系の学問」というイメージなので、数学好きに芸術や創作活動をおすすめすることは、直感的にはあまり良い組み合わせではないように思えるかもしれません。
しかし、僕は数学と他のいくつかの趣味を嗜む者として、「数学と芸術、創作には共通点がある」と断言できます。少なくとも、片方の経験は他方と完全に独立ではないことは確かです。
というわけで、ここからは、数学好きの皆さんにおすすめな趣味を厳選して2つ紹介します。(ほんとはTRPGやらMinecraftもプレゼンしたかった…;;)
どちらも、そんなにメジャーな趣味とは言えないものなので、ぜひ魅力を知ってもらって、誰か1人でもハマってほしい。その一心で屁理屈と駄文を練りに練って用意してきました。
↓区切り線の使い方、普通こうじゃなくね?
構造の美
聴覚と認知のフラクタル
まず紹介するのは、「作曲」です。
作曲って、実は構造の美なんですよ。
ほら、だいたい4拍が1小節で、4小節とか8小節でひとまとまりじゃないですか。
こじつけにも程があるだろ!と拳を上げて憤慨されているそこのあなた
…落ち着いて、その手を下ろしてください。
音楽は、人間が作って人間が楽しむ(少なくとも現在の常識では)ものである以上、人の感性を刺激する必要があります。
人の感性とは気まぐれで、飽きっぽいものですよね。しかし、実は常に新鮮なものを用意すれば良いわけでもないのです。
2行おきに新たな登場人物が出てくる長編推理小説とか、一辺2^(2^(2^(2^(2^2))))ピクセルで1.28×10^30種類の色が使われた絵とか、5秒に1回BPMと拍子と調と歌手が変わる曲とか、聞きたいですか?
僕は、嫌です。
人はそれを、混沌と呼びます。
そう。我々は「型」と「型破り」が気持ちいいと感じる種族なのです。さながらOMC4bコンペの最終講評のように(伝わる?)、典型と典型からの逸脱が刺激となり、楽しさとなるのです。
具体的には、私たちが普段聴く音楽は基本的に、メロディとハーモニー(和音)とリズムの三要素でできていると言われています。
その全てにおいて、「秩序」と「無秩序」が存在します。
例えば、メロディにおける「秩序」として、「スケール(≒音階)」という概念が存在します。これは「規模」という意味ではなく「配列」みたいな意味です。
基本的に、私たちの聞く曲のほとんどは「メジャースケール」もしくは「マイナースケール」に含まれる音のみをメロディに使用しています。言い方を変えると、「ハ長調の曲では基本的にドレミファソラシの七音が使われるよ」ってことです。
しかし、たまにスケール外の音が飛び込んできて、リスナーが「おっ?」となることもあります。これは一瞬の秩序の破壊です。
こんな感じで、音楽には「秩序の破壊」がいい塩梅で散りばめられているのです。
…んなこと言われたってよく分かんねえって?
まあ確かに、音楽の話をするのに文字だけと言うのも寂しいので、ちょっとした実例を用意しておきました。
作曲ってこういう操作の集合なんです
(ここから先、説明用のサンプル音声ファイルがいくつか存在します。スマホから閲覧されている方はファイルを開くためにアプリを切り替える必要があるので、先に全部ダウンロードしてから読み進めたほうが楽かもしれません。)
上にあるのは、普ッ通の何の捻りもない4小節のメロディです。
このメロディは、「Aマイナースケール」というスケール(ラシドレミファソ)の音でできています。1小節目と3小節目は同じメロディの繰り返しになっているので、この曲は今のところほぼ「秩序」しかない状態です。
では、ひとつまみの「無秩序」を加えてみましょう。
分かりますか?最後から3番目の音が微妙に変わっています。最後にこれがあるだけでちょっと「お?」となりますね。これが「スケール外の音」というやつです。
無秩序な音の羅列の中であれば、この音が鳴ったところでなんとも思いませんが、「Aマイナースケール」という秩序が支配する場で部外者の「C#」という音が入り込むと「意外性」あるいは「スパイス」となるわけです。
さて、先ほどのものにコード(和音)を付けてみました。ようやく「作曲」らしくなってきましたね!
とはいえ、まだダサダサの域を脱していません。「ピアノ練習用の曲集の中でも特に印象に残らなかった曲」くらいのレベルですね。
では、今度はリズムの秩序を破壊していきましょう。
上のサンプルは、和音(メロディでない、低い方の音)が2拍ごとにジャーン ジャーンと鳴っているだけでずいぶん単調ですね。ならば、和音のリズムを変えればよいのです。
ちょっとだけダサさが薄まるとともに、音の数が増えて曲のぐだぐだ感が減少しましたね。しかしまだ「曲を作りました!」というには寂しいので、もうちょっとだけ左手をいじってみます。ついでに、ノリをよくするためにテンポもあげてみましょう。
最初と比べればかなり良くなりましたね!これをいい感じにループしながらその辺のピアノで弾けば、知らない人にも「あ~なんかそういう曲があるんだろうな~」くらいには思われるでしょう。
そんな感じで、秩序を作る→破壊を繰り返して音の数が増えていき、曲の長さが伸びていき、やがで一つの曲になっていく過程をお見せしました。
ちなみに、せっかくなのでさっきの曲を20〜30分くらいいじってみたところ、こんなのができました。メロディが気に食わなかったのでほぼ別の曲になりましたが。
(追記:20~30分は嘘です。怖くなって公開前に1時間かけて手を加えました。)
作曲は理系向きだと思います
さて、先ほど見ていただいたように、作曲は基本的に
「型」に沿って作る (秩序)
その一部を「型」からちょっと逸脱させる (無秩序)
という作業の繰り返しです。「型」の習得に才能は要らない(要領が良ければ早いですが)ので、秩序を破壊する遊び心の部分でその人の真価が発揮されるわけです。
「ここにスパイスをちょっと一つまみ」で問題を作るのが好きな、作問料理人タイプ(一定数いるはず)のみなさん、もしかすると作曲向いてるんじゃないですか?
公理の妙
初手宣伝
みなさん、「言語」に興味はありませんか?
言語といえば、様々な言語が世界には存在します。日本語、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ヒンディー語…大学卒業までに、だいたい2〜3言語ほどは学習すると思います。
しかし、僕は「語学」をおすすめしているわけではありません。言い方を変えましょう。
みなさん、「人工言語」に興味はありませんか?
人工言語と聞いて、最も有名なものといえばやはりエスペラントでしょう。エスペラントを話す人は少数ながらも存在し、「エスペランティスト」と呼ばれているそうです。
しかし、僕が言いたいのは「エスぺランティストになりましょう」というのでもありません。
皆さん、「言語を作る」ことを趣味として持つのはいかがでしょう?
実は私アンドロメダ、「メダ語開発日記」というnoteシリーズ記事を執筆しておりまして、そこではなんと、独自言語「メダ語」の開発をしています。よかったらご一読ください(現在はまだ短い記事が2つしかありません)
と、雑な宣伝はさておき、OMCerの中にも、JOL(日本言語学オリンピック)などに参加経験のある方がいらっしゃることでしょう。
まあ僕はないんですけどね。(何だと?)
そういう大会に参加、もしくは関心を持って多少なりとも検索したことがある方なら頷かれるでしょうが、言語ってめちゃくちゃ"論理"なんですよ。
こんな言葉があります。
あっ、手前味噌∧我田引水やんけいい加減にしろ!と香川県(アンドロメダの生息地)に向けてミサイル発射準備したそこのあなた!見えてますよ!
…まずは座って、お茶でも飲んでください。
これから、この言葉の意味を説明します。
「思考の公理系」とは?
言語は、思考の公理系なんです。
数学において、全ての大元となる仮定(つまりその体系の外にある証明不可能な事柄)として公理が存在するように、思考の方法は言語という公理系の上に成り立っています。
…といきなり言われても、直感的に納得できない方もいらっしゃることでしょう。そんな方のために、自分なりにわかりやすい説明を1週間くらいかけて(ガチです)考えてきました。
あなたの目の前に牛がいるとします。牛の胴体から地面へと伸び、体重を支えている4本のパーツのことを何と呼びますか?
「あし」ですよね。
ん?足?脚?どっちだ…?人間だと脚がここで…?
ところで、さっきあなたはどんな牛を思い浮かべましたか?乳搾りのできる、あの白黒の牛?それとも広大な草地でのどかに暮らす茶色や黒の牛?
「牛」に変わりはないですよね。
では、一連の出てきた言葉(あしと牛)を英語に訳してみるとどうなりますか?
…一応、分からない方(のうち調べる時間のない多忙な方)のために説明しておきます。
…これが、世界の認識の仕方です。
「言語は思考の公理系である」とはこういうことです。「"なぜ"足,脚はどちらも"あし"なのか」「"なぜ"英語話者は人の下半身にあるパーツをlegとfootに切り分けるのか」という問いに対して、答えはありません。その違いに優劣や必然性はありません。
英語で世界を認識している英語話者は、そのパーツを見て
「legだなぁ。 footだなぁ。」としか認識していません。
我々の脳内で巻き起こる思考の連鎖が全て日本語の土台の上でしか働かないのは、「少なくとも排中律を認めて(背理法が使えて)ペアノの公理が成り立つ(無限に小さい自然数が存在しない)体系上でしか無限降下法が使えない」のと同じことです。
(こういう話が好きな人は"フェルディナン・ド・ソシュール"あるいは"言語名称目録観"などで検索してみてください)
小難しい話だけど要は†ロマン†
長くなりました。話を戻します。
言語は思考の公理系である
公理系は体系全体を規定する
のであれば、三段論法のノリで、
言語を決定すること=思考体系を規定すること
と言えるのではないでしょうか。(こじつけ)
しかし、やはり言語を作るってとっつきにくいものですよね。そんなみなさんに、メダ語開発日記という記事がありまして…(以下略)
そんな顔をしないで…怖くないよ…
実際に人工言語を作る、というとどんなことをするのか。
大きく分けると、次の作業が必要です。
表記に用いる文字を作る
表記体系を作る (推奨)
単語を作る (ほぼ必須)
文法を作る (必須)
音素(使う音)を決める
これだけです。必須なのは太字の2つなので、作るだけなら意外と簡単なのです。凝り出すと仕方がないですが。
「言語は思考の公理系」だとか言い出した割には、ずいぶんと貧相に見えるって?
例えば、僕の作っている「メダ語」には英語のhaveにあたる動詞が二つ存在しています。
それぞれ"ikas"と"jokas"というのですが、
ikas : 外在の「持つ」
友達や家族、財産など、その人と分けられるものを"持っている"ことを表すjokas : 内在の「持つ」
感情や病気、また体の部分など、その人を構成しているものを"持っている"ことを表す
これらが分かれていることで、メダ語を用いた表現をする際は「それ(主語)の要素として含まれるもの、そうでないものは何か」という意識を向けながら言葉を紡ぐことになります。
「誇り」はjokasするものですし、「服」はikasするものでしょう。では、「ペースメーカー」あるいは「眼鏡」はどうでしょう?
体の中にあるから前者はjokas?でも、自分とは明らかに違うものだからikas?眼鏡も体の機能の一部として見ればjokasなのか?
正解はありません。
メダ語を使う人間の意識の集合が、どちらが正しいを規定するのです。これと同じことが、自然言語でも起こり、そのコミュニティの中で生まれた人間は「はじめから」その意識を受け入れます。
その瞬間、世界の見方が形作られるのです。こうやって世界に線を引いていくことを、日本語では「命名」あるいは「定義」と呼ぶのです。
俄然興味が湧いてきたのではないでしょうか。
個人的に人工言語作成をおすすめしたいのは、「どうせ作るなら、自分にしか作れない世界を展開してみたい」という欲望を隠し持った、創造性の塊タイプ(一定数いるでしょ?)のみなさんです。
なにより、自分が実際に使える言語を作り出せるのって、ほんとうにロマンしかないです。あと人に「お前言語作ったことあるん?」って威張れます
おわりに
いかがでしたでしょうか。
数学をやっていると、思考から曖昧性をできるだけ排除しようとしてしまう性質上、ときどき自分は有機物で、働く機序さえまだよくわかってない「脳」とかいう器官を使っている意味不明生物であるという事実を忘れそうになるでしょう。(計算ミスするとその事実の存在感一気に増すけどね)
しかし、数学は論理と直感の両方を研ぎ澄ます訓練であるとも言えます。もしかしたら、自分でも知らぬ間に自身の「芸術性」「創造性」を育てているのかもしれません。遺伝子以外に、自分にしか遺せないものが何かあるとすれば、それは研究や創造の産物に他なりません。
あなたらしさとあなたの意味(raison d'être)は、無限に再定義される余地があります。その一つとして、少しばかりレアな趣味を持つ(これはjokas?)のも、面白いかもしれません。(逆張りだって?それもまた一興でしょう)
長くなりました。ここまで読んでいただいた方には誠に感謝を。
どうもさようなら。アンドロメダでした。
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