「を」と「で」について【言語雑記】
みなさんどうもこんにちは。アンドロメダです。
今回は、さっき入浴した時にふと疑問に思ったことについて、考えた内容を書いていく。
まとまった考えではなく、自分の思考過程の再現なので、常体かつ極めて主観的な文章になるがそこはご愛嬌ということで。
英語と日本語での目的感
「通りを歩く」に対応する英語は「walk on a street」になると思う。
でも、「公園を歩く」だったら「walk in(around) a park」になるはず。
これの違いは、道の方はある程度直線的に進むけど、公園の方は特に道とかがなく適当に散歩してるから前置詞が変わるんだろうなっていう風に理解できる。
でも、そもそも「を」って目的語のイメージがあるんだけど、この場合通りや公園は"歩かれている"のだろうか?
英語ならNoだ。A park is walkedとは言えない。でも、日本語話者的感覚では、「通りを歩く」を「通りで歩く」とは言えないし、やっぱり通りは歩かれているんじゃないかな?って気もする。
動詞を変えたらどうしましょう
じゃあ、「泳ぐ」だとどうなるかって考えてみる。「海を泳ぐ」よりも「海で泳ぐ」の方がしっくりくる。
でも「歩く」とは微妙に異なるところがあって、例えば「川で泳ぐ」と「川を泳ぐ」なら、「で」の方はあくまで川で泳いで遊んでるだけって感じがするけど、「を」は何となく「泳いで渡る」というニュアンスがある。
最初のくだりで「公園で走る」はそんなに違和感ないという別問題も浮上したけど、「(ランニング)コースを走る」とは言っても「コースで走る」とは言わないし、「を」の方が道や進路、方向が決まっている感がある。
目的地が決まっている場合なら、「このルートを行く」と「このルートで行く」なら、後者は沢山ある選択肢から選んだということが暗示される。どうやら「で」には「手段」の意味はあるけど「を」にはないらしい。逆に「を」には「目的」の意味はあるけど「で」にはないらしい。
結局は主観だけどね
なんとなく、「道を歩く」と言われると、道を踏みしめている感覚がある。実際英語でも「on a street」だし、「道を歩く」ってのはすなわたち「道"の上"を歩く」と言い換えることもできそう。
日本語の「歩く」を使う時に、もしかしたら道に対して"力を及ぼしている"という意識が働いているのかもしれない。あるいは「川を泳ぐ」なら、川という細長い領域を"突破する"という意識があるのかもしれない。
「歩き切る」「泳ぎ切る」になると「で」は現れないけれど、「切る」が「遂げる」とか「終える」の意味を含むことから考えて、やはり「決まっている」状況には「を」が使われると言えそうだ。
なんか考えがさらに深まったら書き足すor新たな記事書くとするかな。
お わ り
どうも以下略ドロメダでした。
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