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沈黙とは消極的な肯定である

「沈黙とは消極的な肯定である」
これは何だったかの本で読んだ誰だったかの言葉です(NO情報)読んで字のごとく、必ずしも賛成ではないが黙っていることで賛成したことになってしまうという状態。例えば、その案よりもっと良いやり方あるけど会議が早く終わって欲しいから黙ってよ的な経験ありますよね?私は数え切れないほどあります。

 日本人には不言実行が美徳とされてきた連綿たる歴史があって、今日でもスポーツ、格闘技などのビッグマウスの選手は嫌われる傾向にあります。このnoteに書くことだってリスクがあって賛否両論を浴びるとはわかっているけれど、オミクロンのこのご時世について「今回は書かないの?」とか「ご意見番、お願いします!」なんて言われちゃうと私はアッコさんか!と思いながらも手が動いてしまいます。去年、お前は中心街じゃないよと言われた当店ですが(根に持つタイプ)現状を良しとしていないのは間違いないので思っていることを書きたいと思います。だって沈黙とは消極的な肯定だから。

 オミクロンが長引いて中心街は危機的状況です。八戸市はまん延なんだかは発令されていませんが、世界一の同調圧力民族でさらに田舎の村社会ですから市民は最大限に自重して出歩いていません。最近では中心街に限らず個人経営の店で、例えば看板が外されていたり、ガランと片付けられていたり、明らかにもう灯らないテナントが複数見受けられるようになりました。タクシーはぐるぐるぐるぐる中心街を廻っていていつかバターになりかねません。この状況はまだ序の口でこのままだと他業種まで負の連鎖で波及してしまうことが予想されます。
 
 八戸市は所有の施設を原則閉鎖しています。マチニワまで閉めていることには疑問が残りますが、事なかれ主義のお役所仕事なのでそれはそれで仕方がないです。この状況の行間を読めば、公共施設を閉鎖して感染拡大防止するけど民間までは強制しないよ。でもみんなは分かってるよね、ヨロ!と言っています。となると前出の世界一の同調圧力民族のさらに村社会ですから軍隊並みの統制が完成するわけです。

 巷の噂で、新市長は市長としての勉強をすることが多すぎてまだコロナのページまで進んでいないとか、何も対策を打たないことで前市長派の飲食関係者をあえて困らせているらしいとか聞こえてきています。中心街の外れまで。確かに私も「本のまち八戸」の提唱者たる前市長に投票したクチなので、それならそれで仕方ないとも実は思っていたりします。だって、かの戊辰戦争だって敗れて朝敵の汚名を着せられた会津藩士とその一族は領地をボッシュートされ下北半島という陸の孤島に追いやられました(下北の人スマン)それが斗南藩。旧会津藩士たちは荒涼とした土地の苛烈な環境の中持ち前の勤勉さと団結力で開墾に勤しんだそうな。これが世に言う「勝てば官軍」で、最終的に勝った側が絶対的な正義で負けた側が虐げられるのは世の常、歴史の理なんですよね。ちなみに前の前の青森県知事の北村正哉さんは下北に転封された会津藩士の子孫なんです。(ところで現職のTシャツ重ね着おじさんはどうしちゃったんだろうね)     

 人を生かすも殺すも言葉だと思います。ましてや首長たる地位に立つ人の言葉の重み、その効果は計り知れません。街外れのしかも2階店舗の店主が言うのとはわけが違うのです。困窮している市民が待ちに待った結果、発表した言葉が課長級が書いた(知らんけど)ペライチの原稿だけって寂しい限りです。その内容もコロナの始まりのような基本的なことばかりで「知っとるわい!」「いつからやっとるわい!」なんて意見が多数です(俺調べ)

 どうぞ希望の言葉を届けてください。首長の座にいる人だからこそ言える言葉がまだあるはずです。

おしまい。

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