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allyという生き方を選択した学生

※この記事は3分程度で読むことができます(1304字)


”ally”とは”味方”を意味する単語で、そこから転じて「LGBTQを理解、支援する人を指す」。


自己紹介
初めまして。
私は現在、カナダに留学中の22歳の学生のたいせいです。
趣味は映画鑑賞をはじめ、音楽鑑賞、サーフィン、ゴルフなどがあります。
映画に関しては、年間100本以上の作品を鑑賞しています。


「”感性”を豊かに」
私は生きていく上で大事にしていることがあります。それは「”感性”を豊かに」ということです。
僕は、好奇心旺盛な性格です。そのおかげで多くの世界に飛び込むことで多くの友人と出会い、趣味も見つけることができました。多くの人とモノと出会うことは、多くの価値観に触れることでもあります。僕はそういった瞬間にいつも心を動かされ、日々影響を受けて自分の感性を磨いています。


「自分の”感性”を知り、多様性を認める」

子どもはそれぞれ個性的な「感性」を持っていると言われています。その子どもたちの感性に大人達は驚く事もあります。
では大人はどうでしょうか。「それはそういうモノだから」という固定観念で物を決めつけることが大人になるにつれ、日常の中で増えてはいないでしょうか。またそれを無意識化で決め付けていることはないでしょうか。

僕は感性というものは、自分以外の人やモノに触れることで視野が広がり、新たな世界感に気づかされることだと考えます。まずは新しい世界に触れたときに「自分がどう感じるか」を知ることが感性を磨くことだと考えます。
そして昨今、”多様性”という言葉をよく耳にする機会が増えました。ここで耳にする”多様性”の中身はLGBTQ+や移民、障がいを持つ人や女性などのマイノリティの人たちのことを主に指します。


僕は学校などでは「差別はよくないからやめよう」と教わりました。この教え方は僕にとっては「自分と違う人がいる。だからそっとしておいてあげよう。」と取ることができました。
しかし非当事者が、当事者の人たちを腫れ物に触るように扱うことが問題の解決につながるのかと言ったら、そうではない。
「無知と無関心」それこそが差別を生んでいるのではないでしょうか。


「まったく知らない、自分の経験していない、そういうものを持った人がこの世にはたくさんいる。こういう人に出会った時に、無意識に差別をしてしまう自分がいるかもしれない。』
と、自己理解をすることから、多様性を認めることが始まります。


allyという選択

僕にとっての"感性”を磨くことのゴールは「より多くの人にとってのallyになること」です。
自分と全く同じ人間はいないけれど、その人の価値観や考え方を尊重した生き方をしたいというのがこのゴールの意味です。


僕は正義の反対は悪。ではなくまた別の正義だと考えます。この場合の悪とは「無知と無関心」なのではないでしょうか。
全ての人を理解することは、できません。しかし、寄り添って理解しようとする行動こそが僕にとっての”ally”だと思います。
だからこそ、LGBTQ+というだけで理解されない社会があるという現実は、ひどく悲しいものがあります。

僕が発信することで「無知と無関心」、そこから生まれる苦しみを少しでもなくしたいと思います。

                                                                             たいせい

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