逃走犯(21歳)

とある飲食店でアルバイトをしていた頃のおはなし。

アルバイト仲間のTは同じ年齢で、バーテンダー経験を生かしてバーカウンターの番人として活躍していた。私はバーカウンター横でレジと電話の番人をしていたので、お客様の少ない時間帯は2人で仲良くいろんな話をした。

Tは180cm近い身長のイケメンで、お客様にファンが多かった。T以外にも3人ほど背の高いイケメンが居たので、ちょっとしたホストクラブみたいだった。

私はイケメンには関心がない。

ちなみにこのアルバイト先、大きめの病院の向かいに建っていて、幽霊が出るとちょっと有名だった。私とTも、誰も居ないはずの2階で人影を見たり、女性の声を聞いたり、ちょくちょく2人で震える経験をした。

Tにはキャバクラで働く美しい年上の彼女がいた。露出多く気も強く、彼女との痴話喧嘩や仲直りの話は、真面目優等生な私には刺激が強すぎた。

当時は例のバーテンダーとお付き合いしていたので、私もそれなりに面白い話題は提供できていたと思う。

私の家はTの家と距離が近く、アルバイトの終わりが深夜になるので、Tがよく家まで送ってくれた。雪が降るほど寒い夜、凍えて鼻水が止まらない私に温かいココアを買ってくれたり、気のきくイケメンだ。

Tの腕にはタトゥーが入っていて、アルバイト中はサポーターをつけて隠していた。和彫りではなく、お洒落な感じのタトゥーなので、怖い感じはしなかった。

私たちはたまに2人でアルバイト先にご飯を食べに行っては、店長に「付き合ってないのに2人で来るのはお前らだけ」と笑われていた。

ある日、Tの頬に傷があることに気づいた。

「彼女に刺された?」

と冗談で聞いたところ

「男の人にアイスピックで刺された~」

とTはゆるい雰囲気で答えた。

なるほど……?

高校を中退したTは、どこぞのチンピラとしてヤンチャヤンチャの日々を過ごし、ある時、ミッションで大きな失敗をした後に東京→沖縄→北海道へ逃走したが、わりとすぐに捕獲され、奥歯抜かれてアイスピックで頬を刺された、というストーリーだった。何年前の話かはわからないけど、最近の話ではなさそうだった。

どこまでが本当かはわからないが、確かに傷痕はあり、奥歯はなかった。こわい。

このアルバイト先、ある先輩のお兄さんは塀の中の民だったし、ある先輩は外国人の恋人と薬物にはまり、幻覚見えるって言いながらカーテンにくるまってたし、今思い返すと、なかなか治安が悪かったかもしれない。9割はまともな学生だったが。

そんなTだが、顔に引っ掻き傷ついてたのは彼女の仕業だったし、胸元と首にえらい量の赤い痕がついていたのも彼女さんの仕業だったし、なんというか、このまま真っ当な方向で幸せになったら嬉しいなあと勝手に思っていた。

チンピラは足抜けできたようで、専門学校の学費を支払うためにこのアルバイトをしていた。

私が大学を卒業する年、Tも建築分野の専門学校を卒業し、聞いたことある企業に無事就職した。

その後、例の彼女と結婚し、あっという間に離婚した。それでも楽しそうに生きているので、良かった。独身生活を楽しみすぎて体重が大幅に増量したのは、ファンにとっては残念かもしれない。

Tとは何か特別なことがあったわけではないが、良い距離感で、いろんな話をするのがとにかく楽しかった相手だ。

いくつ年を重ねても、こんな関係性の友人がいると、人生は楽しい。

とくにオチはない。

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