バーテンダー アクティブ編 (21歳)

以前お話したバーテンダーとは2年半ほどの交際期間だった。年齢は私の11歳上で、精神的には大人な部分と幼稚園児みたいな部分と、極端な要素を同時に持っていた。

Dの家には過去に交際していた金髪歯科衛生士の忘れ物がたくさんあった。金髪歯科衛生士いわゆる元カノは、Dと別れた後、職場の歯科医に口説かれ交際しているという状況だったので、私が特に何かを気にするということはなかった。

1つだけ、ベッドのシーツを買い換える提案をし、Dは即日、シーツと布団カバーを新たな物に交換した。私はほんの少し、性的な部分に関して潔癖だ。

D自身の配慮で多くの忘れ物は処分されたが、PlayStation 2とキングダムハーツは残してもらい、私はキングダムハーツ Ⅱを買い足した。物に罪はないのである。

Dは自身の趣味に私を連れまわし、私はDの多くの友人に紹介され、一緒に遊んだ。

冬はスノーボード、夏はサーフィン、季節は忘れたが東京都のロードレース大会的な何かにも参加した。

交際を始めて最初の冬、群馬県へスノーボードをしに行くことになった。私は雪国に住んでいたが、スノーボードが流行するより、もう少し古い時代だったため、スキーの経験しかない。スキーとアイススケートは小学生当時、毎週遊んでいたので、実は得意だ。

スノーボードは両足が固定されてしまうのが嫌で、私はあまり乗り気ではなかったのだが、Dの強い意思によりやむなく挑戦し、すぐに挫折した。

この時、一緒にスノーボードへ行くメンバーとして紹介された中に、Mさんという男性がいた。実家が裕福で、ご両親も甘いのか、不労所得があるのか、何をしているのかよくわからない人だった。

Mさんの恋人が実は2人いるのだが、その1人がN先輩、私の通っていた高校の2学年上の先輩だった。N先輩は小学校の先生をしていて、真面目で優しくて……この2人が出会った場所が、どうやらDの働くレストランバーだったようだ。

もう1人の恋人が、Aさんという看護師で、近くの大病院に勤めていた。Mさん、N先輩、Aさんの泥沼修羅場は、長くなるので、また次の機会に書こうと思う。

スノーボードへ向かう早朝、Dの運転するいつものアメリカ車の中には、運転手D、助手席に私、後部座席にレストランのアルバイト2名、N先輩が乗っていて、最後にMさんをピックアップした。

Dは携帯を鳴らしても反応しないMさんを部屋まで呼びに行き、Mさんを連れて戻ってきた。このとき、N先輩が呼びに行っていたら、実はこの時点で修羅場になっていた可能性が高い。

戻ってきたDは私に、Mさんのベッドの中で、Aさんが裸で寝ていた、と耳打ちした。

スノーボード自体は平和に楽しく終了し、帰宅した私とDは肉体疲労と、この旅が無事に終了した精神疲労でぐったりとベットに倒れ込んだ。

夏のサーフィンはDの若い頃からの友人と、鎌倉の海へ出掛けた。私は実は泳ぐことができないので、サーフィンには挑戦せず、海辺でバーベキューの準備をしながらお酒を飲んでいた。

海の家の怪しげなお婆ちゃんに「あんた、いいね、売れるよ。」と、どこへ売り飛ばされるのかガクブルする言葉をかけられたり、サーフィンしないチームのDの友人がお昼寝する私の胸元をつんつんしていたり、治安は良くなかったかもしれない。Dの友人はその場で奥様にぶん殴られていた。つんつんする前に殴ってください。

ロードレース大会的な何かは、朝から車で都庁前まで運ばれ、Dの自転車を私向けに調整し、よくわからぬ間にスタートした感じだ。ロードレース大会自体は楽しかった。Dもレーサーではなく、趣味で参加しているので、私のスピードにあわせて東京の街を走った。

Dの友人たちは各々のペースで先にゴールしていたが、レースが終わった後、みんなで飲みに行った。ロードバイクはそこそこお金のかかる趣味のため、この友人たちはお金持ちのおじさまが多かった。

いろんな場所に連れていかれ、たくさんのアンノウンへ紹介され、私なりに愛想よく振る舞ったつもりだったが、どの帰り道もDから文句を言われ、喧嘩になった。

「もっと大人の対応しろよ!」

「じゃあ大人と付き合えば!」

なかなか不毛な喧嘩だ。

その日はスポーツではなかったが、2人で桜木町へ出掛けた帰り、似たような流れで大喧嘩し、私は見知らぬ路上に降ろされ、Dは車で去っていった。

困ったことに私は携帯電話を車の中に置いていたため、連絡手段がなく、かろうじてお財布は持っていたが、現在地が不明のため、どこに向かえばどこへ着くのか、さっぱりわからない。

すぐに帰宅したいが、携帯電話を回収するため、Dの家に寄らなければならない。しかし現在地はわからない。

ここはどこかはわからないが、道路の案内標識に「新横浜 5km」と書いていたので、とにかくそれを追って歩いた。10cmヒールのサンダルで、5kmの距離を歩ききった。新横浜駅に着いた時は、知ってる景色に安心した。そこから地下鉄に乗り、Dの家に戻った。

Dは私を降ろしたあと、すぐ先で停車して待っていたようだが、そんなこと私は知らん。来ない私をしばらく探しても見つけられず、帰宅して待っていたようだ。

どう仲直りしたかは覚えていない。

美味しい食事を作ってもらい、好きな映画を観て、なんとなく仲直りする流れが多かったように思う。

Dは嫉妬心が強く、私はDと一緒に居るとき以外、Tシャツよりも胸元が開いた服を着ることは許されなかったし、膝丈より短いスカートを履くことも許されなかった。従っていたわけではないが。

とりとめもなく書いたが、交際1年目はだいたいこんな感じだ。

交際2年目、Dは転職する。

夜の男が真剣に結婚を考えたとき。

次にDの話をするときは、そんな内容と、例の修羅場の話をしようかと思う。

あと1話で「お別れ編」までたどり着かないあたり、密度の濃いお付き合いだったと思う。

補足だが、このnoteでGという人物について触れる予定はない。他者が見て面白いものではないので、美しい過去の思い出として心の中に留める。

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