藤井風「帰ろう」の表しているもの
藤井風さんの「帰ろう」のMV予告編を見た。これを書いているのが2020/09/01でMVの全編公開は9/4の深夜。公開まで自分勝手な解釈を繰り広げることにしました。
死を見つめることは生きるとは何かを問うことと同じ
「帰ろう」を聞きながらMVをずっと見ていると、R.シュトラウスの死を題材とした楽曲「死と変容(Tod und Verklärung)」が浮かんだ。“死”をテーマにすることで“生”を浮き彫りにし、生きるとは何かを問いかける作品だ。
象徴的な場面をいくつかを切り取ってみた
・風さんが両手を広げたシーン(十字架に掛けられたキリストを象徴するかのよう。手は仏教の印相のようにも見える)
・時計・若い女性と風船・回る風車(人生の短さ)
・手放す手と老人(命の衰退と継承、老いと死の確実さ)
・1本道を走る台車(道は人生、台車はこれまで背負ってきたもの全て)
薄曇りの空の下、光あふれる”幸せ絶えぬ場所へ帰る”途中なのか・・・。
風さん自ら台車を押して一本道を行く。そしてその後、老若男女が台車の上に横たわる彼を取り囲みぞろぞろと歩む。
宗教的・象徴的な見方をすれば、その様子はまるで殉教者のよう。使われている背景や小道具もヴァニタス(ラテン語で空虚、はかなさ、むなしさ)の象徴だらけではないか。
MV全編を見るまで、その映像に込められたメッセージや象徴的なシーンの寓意は謎。しかも、それは永遠に見る者には解き明かせないかもしれない。それでも解説動画が公開されるまでしばしの間、自分だけの憶測と推理を楽しもう。
こうなったら、もうメメント・モリ(死を想え)がまとわりついて離れない。
*画像は藤井風YouTubeより
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