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ユーリとナキアは似ている

『天は赤い河のほとり』に登場するユーリとヒッタイト帝国の皇妃ナキア。ナキアは物語を通して、ユーリひいては読者にとって終始「倒すべき敵」として描かれています。
一方で物語の結末に至るまでに、ナキアや側近のウルヒにも苦しい過去があること、非道な行動に移すまでに至る理由が描かれています。
最終的には、ユーリとカイルの措置によりナキアは流刑という結末を迎えますが、消化不良で終わっている読者も少なくないかもしれません。

ユーリとナキアは一見対極の存在として描かれているようにみえますが、私はかなり似た境遇に置かれたキャラクターだという印象を受けました。むしろ意図的に二人の共通点を作中で描いているように思えるのです。

今回はそんな考察についてお話したいと思います。


まず二人の共通点を挙げていきます。

①15歳で側室として嫁ぐ
②嫁ぎ先が異国
③後見を持たない側室
④後に皇妃となる

各項目別に詳しく見ていきます。


①15歳で側室として嫁ぐ
ユーリ→ナキアによってヒッタイトに連れてこられ、カイルの咄嗟の機転により側室となる。
ナキア→祖国に売られ皇帝の側室として嫁がされる。

二人とも最初は「不本意」な形でヒッタイト王家へ嫁ぐことになります。
ユーリは後々、カイルと相思相愛になり名実共に側室となります。一方ナキアは「愛してもいない皇帝の子を産んだ」 という言葉からあるように、シュッピルリウマ一世に対して夫としての情を持つことはありませんでした。


②嫁ぎ先が異国
ユーリ→時空を飛び越えて来たので言うまでもありません。最初から知っている人もおらず、カイルと出会うまでは言葉を解することも出来ませんでした。
ナキア→売られるようにヒッタイトへ嫁いだ当時を「知らぬ土地 知らぬ言葉 どれほど心細いかおまえにわかるか?」と評しています。「わたしとてかくれてよく泣いた」と独白しているシーンも印象的です。

二人がヒッタイトに来た当時の様子を読み比べてみると、よく似通っていることがわかります(描写されている巻数はだいぶ離れていますが)。


③後見を持たない側室
ユーリ→「側室」としての地位は獲得していますが、正式な「身分」 はありませんでした(作中でも平民扱いされています)。
ナキア→「バビロニア国王の息女」という身分は持っていますが、ヒッタイト帝国に嫁いで以降、故国から支援があるわけでもなく強力な後ろ盾もいません(むしろ故国への支援のため売られるように嫁いできました)。「わたしは何も持たぬ側室として放りこまれたのだ」という言葉にあるように、最初は権力を持つほどの側室ではありませんでした。


④後に皇妃となる
言わずもがなの共通点ですが、二人の「皇妃になるまでの過程」の違いを見ていきます。
ユーリ→皇太后として君臨しているナキアを廃位させなければ皇妃になることができません。きちんとした手順でもって廃位させるために敵国と密通している証拠の獲得に奔走しました。結果、ネフェルティティ皇太后との密書が見つかり、それを証拠に廃位させることができました。
ナキア→既にシュッピルリウマ一世にはヒンティという正妃がおり、ヒンティは民衆からも圧倒的な支持を受けていました。そんな中、ナキアはヒンティを毒殺することによって強制的に皇妃の座を空けさせます。更に外伝では、他の正妃候補であった側室を何人も暗殺したことが示唆されています。その結果、ナキアが皇妃になるほかない状況を作り上げたのです。

このように、二人はヒッタイトに来たばかりの頃の状況から皇妃になるというゴールまで(その過程は一旦置いておくとしても)同じ道を辿っているのです。

では、なぜ二人はここまで似た設定なのか?

私は、作中において「愛」というキーワードを際立たせるために、この二人をあえて似た境遇にしたのではないかという仮説を立てました。
以下で詳しく解説します。

まずユーリがミタンニに捕らわれていた時のエピソードを見ていきます。
黒太子はユーリにタトゥーキアの話をし以下のように評しました。
「女はどこにいてもしたたかに生きてゆく
権力と黄金の甘さを吸ってかってに肥大してゆくものだ」

それに対してユーリは次のように答えます。
「お姉さんはやっぱりかわいそうだ
知らない国で心細くて そんなふうにしか生きられなかったんだ
花や木だって 光や水がなければ育たない
人間だって愛されずに大きくなれなんてムリだよ!!


この言葉を踏まえて改めてユーリとナキアの境遇を比べてみます。
上記で挙げたような数々の共通点がありながらも、なぜ違った皇妃となったのか。決定的に二人を分けたのは「愛し、愛されていたかどうか」という点にあると思うのです。

ユーリ→カイルを始め、ティトや三姉妹、三隊長やザナンザなど。愛しい人として愛されるのは勿論、そのカリスマ性から側近たちや国民からも敬愛されてきました。そしてユーリ自身も、カイルや側近、国民たちを思いやり愛していました。ユーリは数え切れない人々を愛し、愛されていたのです。

ナキア→シュッピルリウマ一世から真に愛されていたのかは分かりませんが、少なくともナキアは皇帝からの身体的な愛を受け取る気はありませんでした。決定的なのはウルヒに自分を連れて逃げるよう頼みこんだ時。全てを捨てでも愛したいと伝えたのに「あなたに御子も女性としての幸福もさしあげられません」と拒まれました。愛する人と一緒になることを望んだのにもかかわらず叶わなかったのです。

「愛」の有無だけが要因だとは思いませんが、少なくとも同じような境遇にいた二人が異なった皇妃像になったのは「周囲を愛し、愛されていたか」という点が大きく影響をしているのではないか、と考えられます。

以下の点線の間に書かれていることは私の持論なのですが…

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どれだけスタートラインの環境(共通点①〜③)が過酷だったとしても、周りから愛されることでまず自分の居場所を確保することができると私は考えました。安定した居場所を持っているからこそ、気持ちも考え方も生き方もより良い方向に向かうのではないかと思うのです。

ネフェルティティと対峙した際「あたしはカイルに守られてあなたのような苦労は味わわずにすんだ だからあたしが楽した分ほかの人も楽をさせてあげられるかもしれない」と言ってのける器量がユーリに備わっていたことも大きな要因ですが。
しかし愛されなければ(周りに味方がいなければ)ナキアやネフェルティティのようにまず自分の居場所を守らなければなりません。権謀術中が渦巻く王宮の中で自分一人、綺麗事だけで生き抜いていけるのかといえば、正直普通の人間では難しいのではないかと思います。それゆえ、自分一人で荒波の中で立つべく、権力や富を求めていくほかなかったのではないかと思います。
その証拠に、ナキアはウルヒに自分を連れて逃げるよう頼み込んだ時(まだナキアの中で愛される可能性を持っていた時)に持ってきた全財産は非常に少ない数でした。最初から富や財宝を求めるため暗躍していたわけではないと伺えます。ウルヒから愛されることは無いと分かって以降、権力や財宝を求めるようになったのではないかと思われます。

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「イシュタル」は愛と戦いの女神です。「戦い」の側面は数々の戦争で強調されてきました。
では「愛」の側面はどうやって強調させたのか。それは、ナキアを「愛し愛されなかった皇妃」という対極の存在として登場させることで、ユーリ(イシュタル)の「愛」の側面を強調させたのではないかと思うのです。
ナキアは「愛されなかった」ことで一人生き抜くために権力や富を求める姿勢になり、結果ユーリとは対極の「敵」としてのキャラクターが出来上がったのではないかと考えました。

同じような過酷なスタートラインだったとしても「愛し愛されれば」綺麗事だとしても周囲の助力を得て信念を貫きゴールに辿り着ける。しかし「愛し愛されなければ」一人で立ち向かう他なく、手段を選ばなくなっていく。

「愛の有無」でこんなにもたどる道筋が違うんですよ というメッセージを込めて、ユーリとナキアを似た境遇にしたのではないかと思った次第です。


私の読み込みが浅く、また情報が抜けているところも多々あるかと思いますが、「これだけ二人を似通った設定にしているのは何か意図があるはずだ!」という長年の思いを書き出してみました。
非常にわかりにくくしっちゃかめっちゃかなnoteになってしまい申しわけありません(^_^;)



#天は赤い河のほとり #篠原千絵 #ヒッタイト #漫画


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