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9.7kmのランウェイ

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代表の橋本なずなです。

訊いてください、今日ね、梅田から自宅まで歩いて帰って来たんです。その距離なんと 9.7㎞ 。
時間でいうと2時間弱掛かりました。
その間頭に浮かんだ数々の思いをまとめてみました。

Ep.1 】仕事をし、子を迎えに行く令和の母たち

9.7kmの帰路の途中、とある保育園の前を通った。
歩く私を追い越して、自転車に乗った一人の女性がその保育園の前に着き、慌てた様子で自転車を止めてインターホンを鳴らす。
向こうから扉を開けてもらわないと中には入れないのに、女性は門の柵に手を掛けて中を覗いている。
肩で息をして、急いで来たのかな?という感じだった。
時刻は 18:56 ―― そうか、確かに “保育園の迎え” にしては少し遅いのか。

そのまま私はその場を通り過ぎたが、後にこんなことを思った。

女性はあの後、「お迎え遅くなってすみません!」と保育士さんらに謝るのだろうか。
「待たせちゃってごめんね」と子どもに謝るのだろうか。

19時近くになるということは、きっと女性はそれまでに仕事をしていたのだと思う。
仕事をし、子を迎えに行き、ウチに帰れば料理や洗濯などの家事育児。
なんて大変なんだろう。

「男性が働きに出て、女性は家を守る」そんなことができた昭和・平成初期とはワケが違う。令和の母たちは働きもし家も守らなければならない。
家事育児に協力的な男性が増えてきたようにも思うが、それはあくまで “協力” であり、我が事として取り組んでいる男性がどれほどいるだろうか。
家事はともかく、育児に関しては自分で種を出して授かった子どもなのに、協力という他人事のような距離感がある姿勢は何なのか、と思うね。

私は女性に伝えたくなった、
「謝らなくていいですよ、あなたはもう十分頑張ってる」って。

【 Ep.2 】歩く、走る、という瞑想

私は普段からよく運動をする方だと思う。ジムは週3日ほど通っているし、趣味はサイクリング。
歩くのも嫌いじゃないけど、自転車に乗っていることの方が多い。
しかし今日は何を思ったか「よし、歩こう」と思い立った。カフェのバイトと制作作業の後、一日働きっぱなしだったのに、何故かエネルギーに溢れていた。
疲れたら途中で電車に乗ろう、なんて軽い気持ちで考えていたのに、気が付けば自宅まで歩き切っていた。

その途中、少し前に関わりのあった人の言葉を思い出した。

ムショ歴ありの42歳男性ゼネコン経営者。
男性に「私、サイクリングが趣味で」「梅田くらいなら時間が許すなら自転車で行きますね。40分くらいだし、運動にもなりますよ」と話していた。
すると男性はこう言った。
『俺はその時間をお金で買うな。タクシー乗って20分で行く。残りの20分があれば俺は数万円を生み出せるから』

へぇ、というくらいで、その時は何も思わなかった。
でも今日2時間弱歩いていて考えが変わった “男性は可哀想だ” と。

だって2時間も街を歩くと色々なものに出会えるんだ。
令和を生きる母たちにも、疲れ顔のサラリーマンにも、黄色いスーツを着た成金(裏社会の人?)感が丸出しの人にも、ダンスに明け暮れる若者にも、気ままにお散歩をする猫ちゃんにも。
それぞれに過去があって、これからの未来もあると思うと、今この一瞬すれ違っただけだけれど、なんだかその偶然が尊く感じたり。
暮れていく陽を追いかけたり、顔を出す月に挨拶をしたり。「こんな所にお店あったんだ」って発見があったり。

そういう出会いが男性にはないのだから、いくらお金を稼げるとしてもそれってなんだか貧しいなって思ってしまう。
お金を軸に考えている限りは、男性は本当の豊かさを感じることはできないのだろうな。

私がサイクリングをする理由は、その時が一番頭がクリアになるから。
音楽を聴きながら髪に風を感じて、自転車を走らせているその時間は、日々のタスクの整理から将来を思い描くまでもできてしまう。
『移動時間なんて無駄だ』という人もいるが、私にとってはその時間こそが欠けてはならない、とっても大切な時間なのだ。
走る、歩く、という自分との時間。それはある種瞑想のようであった。

【 Ep.3 】歩みを止めないで ~ 9.7㎞のランウェイ ~

歩きはじめて4kmくらいのところで、休憩がてらスーパーに寄った。
グリーンダカラに冬季限定のゆず味が出ていて、なんとか3月にして冬季に滑り込み。ほのかに感じるゆず感が美味しかった。

そこで少し休憩してまた歩き出すと、(えっ、しんどい)(足が重い、肩が痛い)と身体の節々が痛みはじめた。

スタートよりリスタートのほうが大変なのは、一度歩みを止めたことでそれ以前に蓄積された苦しみや思いがそこに全部のしかかるから。
走っている時よりも、立ち止まった時のほうがドッと汗が流れるのと一緒で、何かを感じる時はいつも止まった時なのだ。

私は2年間の精神疾患の闘病生活から、昨年6月、見事社会復帰を果たした。
歩みを止めていた2年間、そこから立ち上がるのは簡単ではなかった。

——— 4km止まらず歩いて来れたのに、急に足取りが重くなる。
そこで私は日々の歩みの大切さを知った。

一度立ち止まると再起するのは大変だ、心も身体も。だから一歩でも良い。毎日歩みを進めていればこの苦しさはきっと軽くなる。
いきなり大きく出なくたって、一駅分歩くとか、夕飯だけは栄養に気を遣うとか、そんな小さな頑張りで良い。
その頑張りの積み重ねが、いつしか大きな成功を生むと私は思っている。

私は好きなタイプを訊かれた時に「忍耐がある人」と答える。
忍耐があるというのは “我慢強さ”、即ち “継続できること” と同義だと思っている。
継続は力なりと云う。継続すれば願った未来が叶うことも、そうでなかったとしても何かのカタチには必ずなる。
継続ができて失敗する人なんて、99.9%居ないと思うのだ。

だから私は忍耐がある人が好きと言う。
必要な力を身に付けて自己研磨に励む、そしてその時が来るのをただじっと待つ。
そんな人、素敵じゃない?

4kmの壁を前にして、私は気持ちを奮い立たせた。
「これに耐えられる女でなくてどうする!」「女に二言はないんだぞ!」

誰にけしかけらえたワケでもないけれど、こういうのは自分との闘い。
誰も見ていないからズルもできるのだけれど、そんなことはしたくない。
だから、今夜歩いていた進捗を都度インスタのストーリーに上げていた。
ストーリーに記録するのは制作の作業中にもよくしている。人の目があるというだけで身が引き締まるから。
自分との闘いも、仕事も、大事なのは勢いと意地。

いよいよ自宅近辺まで来ると足が限界に近づいていた。
けれど忘れてはならないのは、歩きゃいいってもんじゃないということ。

女たるもの、どんな時も美しくいたい。
ここまで10㎞近く歩いているとは思えないほどに、余裕に満ちた姿をキープすることを怠ってはならなかった。
足をまっすぐに、かかとからつま先に丁寧に足を出す、背筋をピンと、胸も張り、顎は軽く引いて口角をきゅっと上げる。
幼少期アイドル志望だった私は “綺麗に見える歩き方” もよく教わった。
そうして歩む道はまるでランウェイのようだった。

私、外見だけで『ふわふわしてそう』なんて言われることがあるのですが、案外ストイックなんだよ?
以後お見知りおきを。

日々の歩みの大切さ
どんな時も美しくあること

それは9.7㎞のランウェイが、私に教えてくれたもの。

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