杉本舞『「人工知能」前夜 コンピュータと脳は似ているか』(青土社、2018年)

黎明期の人工知能研究、1930年代〜50年代のコンピューティング史を専門とする著者の博論をベースに書かれた本。AIの歴史ということだと「人工知能=AI」という言葉が初めて用いられたとされる1956年の「ダートマス会議」が有名だが、その前史をしっかりと描く。

私たちがテレビなどで目にする脳のイメージのAI。そういった機械と脳を結びつける発想は、実はコンピューターが発明される以前からあったという話から本書は始まる。

計算機をはじめとしたさまざまな機械を形容するのに「脳」のたとえを持ち出すということは、高速計算機の登場以前から、20世紀前半の一般向けの科学雑誌のなかには、よくみられることであった。(本書14頁)

20世紀前半とは、具体的にはいつくらいなのか。
機械を指して「脳」と呼ぶ表現は、1928年に『ポピュラーメカニクス』という雑誌でインテグラフに「脳」という表現が用いられたのが(一部の例外を除き)始まりと言えるということ。(22〜23頁)

このように、米国の一般向け科学雑誌では1920年代末からはアナログ計算機、1930年代後半から1940年代前半には主に射撃制御装置、1940年代後半からは大規模デジタル計算機に「脳」表現が用いられていた。ただし、この1920年代末から1950年代にかけての雑誌記事にみられる「脳」を用いた表現と、それがもたらす機械と脳の類比は、何の説明も理論的正当化もなくおこなわれているということに注意せねばならない。(本書28頁)

つまり「なんとなくすごいことをしている=脳」という(ある種、短絡的と言えるかもしれない)発想は、人間が昔から持っていたものだということだろう。筆者も「これらは、一般読者が持っている脳に関する知識にてらして  、機械の振る舞いをうまくイメージさせるために使われた表現にすぎないのである。」(28〜29頁)と述べている。

これらの発想が、戦前から戦後にかけて、「サイバネティクスcybernetics」と呼ばれる、ノーバート・ウィーナーを中心とする学際研究運動に発展し(74頁)、マカロックとピッツによる「神経系のモデル化」(81〜92頁)へとつながっていく。さらに、この考え方が20世紀科学史における最重要人物の一人といわれるフォン・ノイマンの「アートマトン」研究に影響を与える。「アートマトン」とは、「入出力をもつ自動的な機械一般」を示し(126頁)、生物の有機体や人間の神経系も、入出力のある計算機との類比(アナロジー)で捉えたことに意義がある。
さらにこれが、「チューリング・テスト」で有名なチューリングの「知能機械Intelligent Machinery」(1948)という論文(157頁)に影響を与え、1956年の「ダートマス会議」(192頁)へと系譜がつながっていく。
まさに「AI誕生前史」というわけだ。

個人的に最も印象に残ったのは、今の第3次AIブームを筆者がどう見ているかという「あとがき」の部分。人間は今も昔も変わらない、と。

また逆に、コンピューターを使って何らかの計算や情報処理をして答えを出すものならなんでも「AI」と呼んでしまっているような例も見受けられる。私が普段教えている大学生のなかでも、そういった理解をしている学生は実際珍しくない。ICT一般とAIとの境目があいまいになっているのである。1940年代の計算機史を研究してきた私の目には、これはある意味で計算機を「機械の脳」「巨大頭脳」と呼んでいた時代への逆戻りにもみえて興味深い。つまり、かつて高速計算機を「機械の脳」と呼んでいたような感覚で、いま何らかの計算や情報処理をして答えを出すものを「AI(人工知能)」と呼んでいるようにみえるのである。(241〜242頁)


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