『グローバル・グリーン・ニューディール』3


アメリカの全国民が生存し、繁栄するために依存している公共インフラを全て民営化するなどと言う考えは見当違いであり、政治的にも賢明ではない。市民一人ひとりの日常生活を、責任のない多様な私的利益主体の手に委ねる事は、民主的なガバナンスと慣習を放棄することに他ならない。なぜなら、そうした商業的利益主体について一般市民はほとんどコントロールできない上に、自分たちの生存を維持するサービスにアクセスしたり影響を与えることもほぼできないからだ。しかしそれはすでに現実になりつつある。不幸なことにアメリカだけではなく、他の国でも程度の差はあれ、同様のことが起きている。

さらに不吉なのは、第三次産業革命の要となるデジタル化されたスマートインフラがすべて民営化されたらどうなるか、である。一方では、人類を地球規模の1つの神経系としてつなぎ、誰でも望めば、多様なメンバーからなるグローバルな「家族」の一員として、他の誰にでも限界費用ほぼゼロでアクセスできると言うのは魅力的だ。とりわけ地球を、自分の家や遊び場の延長として捉えている若い世代にとっては。だが他方、第三次産業革命のデジタル化されたスマートインフラが、すべてグローバル企業の所有物になったらどうだろう? その結果、そうした企業が市民の生活を監視することも、収集したデータをマーケティングや宣伝の目的で第三者に売ったり、政党やロビイストに政策推進の目的で売ったりすることも、自由にできるようになるのだ。

グリーン・ニューディールのインフラ転換においては、連邦政府がその立案に重要な役割を果たす一方、グリーンなインフラを整備する困難な作業の大部分は、州や郡、市町村に任されることになる。それが新たに出現しつつある、水平方向に分散化したグローカル時代にふさわしい形なのだ。

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