ヒエラルキーのない次の社会

谷崎テトラさんが紹介していた『成長の限界』の著者ヨルゲンランダース氏は、講演の中で中国の計画社会に注目しているのだという。民主主義社会体制では、持続可能な社会への移行は難しいという理由なのだそうだ。
https://www.facebook.com/1447853075/posts/10216646004809704?d=n&sfns=mo

しかしそれは解ではないと思う。

中国において計画社会が成立しているのは、社会に明確なヒエラルキーがあるからだが、社会的ヒエラルキーは人と人の間に分離を生み出す構造であり、それこそが人を幸せにしない根本原因である。それ故に人はあらゆる不自然で過剰な行為に走る。

つまりヒエラルキーこそが、現代社会を過剰な欲望に駆り立てる原因であり、それ故に社会は法と暴力によってその過剰な欲望を管理しようとしながら、一方で「合法的な」強欲を野放しにする。

日本では安部政権に象徴されるグローバル資本主義体制の権力者たちである「彼ら」の強欲は、「彼ら」のどこまでいっても満たされない渇望、無意識の苦しみの現れだろう。「合法的」(つまりバレなければ)であれば、何をしても良いという過剰な渇望に突き動かされると同時に、自らの特権だと信じているヒエラルキーを死守しようとする。しかしそれこそが実は、「彼ら」の満たされない渇望の原因であることに、「彼ら」は気づけない。「彼ら」は自己欺瞞の中で苦しみ、その苦しみを感じないようにさらに深い自己欺瞞に陥る。

「彼ら」は、ヒエラルキーによる力の統制が、自分たちの渇望を満たすこと、すなわち自分たちの幸せの源泉だと思っているが、そのヒエラルキーこそが自分たちの中に不幸と渇望を生み出し、同時に力づくで統制しなければならない状況を生み出している。

我々人類の最重要の課題は明確になってきている。

ヒエラルキーのない社会を造るという課題。

ヒエラルキーのない社会に生きる人々は自ずから満ち足り、力づくの管理と統制などせずに持続可能な社会へ調和とともに移行できるだろう。

そしてヒエラルキーのない社会を作るために一番必要なことは、私たちは分離した存在ではないという事実の再発見だろう。

「彼ら」とは対立すべき存在ではなく深く癒されるべきある存在であり、私たちの時代精神である「分離した自己」の最期の象徴なのだろう。

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