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必要不必要

今まであったものが絶対的に必要なわけではない。ということをこの2ヶ月見せつけられている。SNSでは東京都知事の公約を揶揄するかのようにウィルスがほとんど公約を達成させたなどの文章を見かける。

今の状況になってからは毎日が自分への問答。「それ本当に必要ですか?」ことあるごとに自分に問いかけている。例えばお腹が減ってラーメンを食べにいきたいと最近よく思うのだが、思うだけで行くことはない。

今の自分に外食は必要ないからだ。

腹が減ったなら、ラーメンが食べたいのなら、家で自分で作ればいいと思うようになった。もちろんラーメン屋さんやその他の外食産業を否定しているわけではなくて、今まで無駄に贅沢をしすぎていたことに気づかされたということ。

そして何よりリスクは減らさねばならない。外に行くということは感染する可能性も感染「させてしまう」可能性もあるからだ。予防策は見かけてもそれはあくまで予防であり、リスクを0にすることは出来ない。

感染したくないというより、させたくない方が自分は強い。だから「今」必要でないことはしたくない。無症状なだけで自分は感染しているかもしれないとまで最近は思っている。極端かもしれないけど死者が出ているのだから、やりすぎということはないと思う。

なんでもそうだが当事者意識がないと身勝手になってしまう。

インフルエンザと引き合いに出されることもあるが、治療法があるもの、季節で感染リスクが落ち着くものでは話が違う。戦ってきた歴史から学び、完全な対策があるから流行の時期になっても人は恐れずに日常を過ごせるわけで。

真偽不明な情報がたくさん漂う中で、正常性バイアスのかかった言動は人を惑わすし行動は伝染してしまうもの。何も確立されていないのにそれがどれほど恐ろしいことになるか・・・

生きていくために仕方ないことが命を削ることになるなんて、死にそうにならないと気づくことは出来ないはず。でも想像しなければならない。・・・と、こんなこと書くほど真剣に考えて日々を過ごしているからこそ

本当に必要ですか?と思ってしまう。

何が書きたいかというと自分を見つめ直す機会になるのでは?ということ。テレワークを始めてからすごく考えるようになった。会社にはシステムがある。どうすれば生きていけるか、その場しのぎではない蓄積されたものがある。

そんな中で自分はどこの流れで役に立てているか?と考える。ひょっとしていなくてもいいのでは・・・と思うほど自分を低く見てはいないが「本当に必要ですか?」と問われたらどうだろうな。

客観的にみて必要だけど、そうじゃない時もあるんじゃないかな?前に社長と話していた時に「会社に必要じゃない人なんていない、だが絶対に必要な人ってのもいないんだ」こんなことを言われた。

ピンとこなかったけど、今ならなんとなくわかるような気がする。

必要とされるために頑張りたい。会社は時間潰しの場所じゃないし仲良しごっこする場所でもない。信用し信頼してくれる方々の必要に答える場所だ。だからその中でいる自分は必要とされなければならない。

自分が生きるために会社が必要なのではなく、会社が生きるために、社会が生きるために自分が必要なのだと。そう強く思える自分を作り直していこうと思う。ほんと今なにをするかで未来は大きく変わる。

車のほぼ走っていないような道をのんびり走っているのではなく、多数の車でひしめき合っている高速道路をすごいスピードで走っている感じ。ハンドル操作を間違えば終わり。スピードを落として最後尾でゆっくり走れる人はいい、前方の様子を見ながら調整すればいい。

自分が乗ってる・または運転している車はどうでしょうか。スピードはハンドリングは・・・不要な荷物を積みすぎて減速しすぎていないか、窓から見える景色を眺めるのではなく真剣に道や周囲を見てアドバイスが出来ているか。

さて、どうなるか。

来週も来月も来年もこうやって書ける日常はあってほしいなと思います。

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