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敦賀三昧の旅4

パニック大流行!?気比神宮insta ライブ

あっち行ったりこっち行ったりしてましたがようやく帰ってきました。

気比神宮、こちらではカオジさん主導で"リーディングマスター・まさみちinsta ライブ"を配信しました。

既に神宮での浄素も終えたまさみちさん、新しい場所に来た&久々でたどたどしい私、そしてくつろぎ感満載の"カオジさん""いとーくん"で行いました。("旦那さんいとーくん"は"カオジさん"大好きっぷりが炸裂している感じでした。カオジさんがinstaに登場し軽快におしゃべりしているのをすごく嬉しそうに撮影してます。雰囲気も少し"オタク"感が醸し出されているのは気のせいでしょうか。)

かなり盛り上がりました『パニック流行る件』について、私たちもパニックの中にいたと気づき、ブロックを外したのが敦賀に来る前の日でした。

ああ、ほんとパニックだったよね。
大大大パニックの5年間だったよね。(しみじみ…)

今では大パニックも良き思い出として感じられるのだから本当にありがたい。(泣)

そうだった、28歳の頃から人前で歌うのが怖くなったりとか、歌詞を見ないと歌えなくなったりとか、まあまあパニクってましたね…。(遠い目)

パニック
これまで出来ていたことが突然できなくなるとか、電車に乗れなくなるとか、ここから色々起こりますよね、、、。

パニック
それって、陰陽統合の時代と言われている様に、男性性や女性性のどちらかだけ使ってどちらかを使わない、どちらかを嫌うなどしているとその嫌った側に突然陥り、機能不全になるなどしますから。
強制的に価値観を改めなければいけない時代に入っだのだと思います。

"人道の港 敦賀ムゼウム"

気比神宮でのinstaライブをみんなで和気藹々と配信した後は敦賀港にある"人道の港 敦賀ムゼウム"という記念館に連れて行ってもらいました。

1940年代に『命のビザ』を携えたユダヤ難民が上陸した敦賀港、こちらの記念館では数々の苦難を乗り越えて敦賀港に降り立ったポーランド孤児とユダヤ難民の史実を中心に、当時の次ぐが市民の証言やエピソードのこは、今も続く関係者との心温まる交流を紹介し、命の大切さと平和の尊さを発信されています。

敦賀ムゼウム パンフレットより


そこには『命のビザ』の発給者 杉原千畝さんの資料も展示されていました。

日本通過ビザ(命のビザ)発給とは
1940年(昭和15年)夏、ナチス占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ人が各国の領事館・大使館からビザを取得しようとし、最後まで閉鎖しなかった日本領事館に殺到した。領事代理の杉原千畝は人道的なビザ発給の許可要請を政府に行うも、7月28日、松岡外相直々にヨーロッパ各国の大使館・領事館に「難民へのビザ発給は許可できない」という通告が発せられた。しかし、千畝はビザの発給を決断した。発行作業はベルリンへ旅立つ9月5日までビザを書き続けたとされる。駅のプラットホーム、汽車が発車間際まで発給し続けた。ビザの枚数は番号が付され記録されているものだけでも2139枚だが、記録されていなかったもの、一家族に一枚でよかったこともあって、延べ6000人のユダヤ人に発給された。

インターネットより

当時の様子をインタビューで答える杉原千畝さんの肉声も受話器越しに
聞けるのですが、『日本政府に楯突き=ケンカを売る気満々だったこと』や『人道支援しない友人が隣にいたなら蹴り飛ばす』そんな雰囲気が肉声から伝わったとまさみちさんが紐解いてくれました。

これを聞いた時、私がこの5年の間お世話になっている弁護士の先生がまさに深い愛と情熱で関わってくださる方で、応援してくれる人数は圧倒席に少ないかもしれないけれど本当に素晴らしい方々に支えられて今があるのだな、と感慨深くなっていたのでした。(ちなみに過去世が杉原千畝さんだった方がこの中にいたり…本当かどうかは神のみぞ知る…)


・他の人が嫌いというから私も嫌う
・みんながそう言うから私も従う
・できる人がやればいい

のではなく、

・誰がどう言おうが、まず私はどうしたいか
・"たった一人の友人"だった場合、どうしてあげたいか
・どれだけ自分の真心に向き合い、そしてその真心を貫けるか
・できる心を育てていく

そんなことを考えた時間でした

敦賀で一番新しいホテルへチェックインからの

"カオジさん"のクライアントさんが働いているというホテルをプレゼントしてもらいました。お部屋の新しさ、広さ、そしてくつろぎ感にとても感動しました!

荷物だけ置いて、また車に乗り移動。
カオジさんがぶっ倒れたという"パニックトンネル"に行き、パニックの原因となった幽霊を除霊することになったまさみちさん。

そうなんです、まさみちさんは実はヨーガ、キネシオロジー、仏教、神道、陰陽道、あらゆるものを紐解き使いこなしていますが、実は"幽霊"の除霊なんかも得意とします。

相談を受けたらなんでも答えたい、紐解いてあげたいという思いからなんですが、結婚した当初は本当に毎晩の様に幽霊が来ては、人感センサーライトが作動し続けるなどありましたね。祓えば光らなくなるのですが『また来たよ…』って感じでした。(今の家でもごくたまにセンサーつきのゴミ箱が開閉を繰り返したりします…。)

そう、パニックトンネルに入る手前で何十もの幽霊を言霊で除霊し、トンネルに入りましたが、前回ぶっ倒れたという"カオジさん"も今回は難なくスルー!ミッション完了しました。

そしてそのまま、夜のお料理屋さんへ。

続く



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