算数と数学は似ていて異なる。

よく槍玉に挙げられられるのが、掛け算の順序。まぁ数学的に見れば、どっちでも良いのですよ。だが、算数的には違う。これは、算数の学習が数学を履修するのとは異なるからと考えられますね。端的に言えば、数学の要素のごく一部分を切り取って、児童の発達段階に応じた理解のし易さを優先し、習得のメソッドをシステマティックに再構築したものが、算数だと考えれば良いかなぁと。その代償として数学と算数は完全な互換性を担保する事をやめたと。

掛け算で炎上する事が多い順序逆の話題ですが、まず、引き算で考えてみましょう。算数の概念では、負の数はこの世に存在しない。つまり数学で答えが負の数になる差は、まぁ例えるなら0で割る除算と(計算不能)というオーダーで等価。故に、“3-2”は計算できても、“2-3”はそもそも計算できない式となります。そうすると、“引かれる数”、“引く数“、という定義とその違いの理解が必要不可欠な存在になります。引かれる数と引く数では、“引く数<引かれる数”が常に成立せねばならず、式に立てる時には引き算を意味する”-“に対して、”引かれる数“が左、 ”引く数“を右に書く。これを”引き算“の式の立て方の手順として提示しています。(厳密には”引かれる数“の次に”-”、その後に“引く数“ですが)よって、式を立てるには、どちらが、”引かれる数“なのか、どちらが、”引く数“なのかを判断する能力が必要になりますね。

さて、足し算を考えましょう。和を求める場合は、交換法則が成立する。よって、どっちが先でも良いじゃないか。と言う人が出る訳ですが、ここで考慮しなくてはいけないのが、児童の理解力です。児童の理解力は大人が想像するよりも遥かに小さく、単純です。この時点で特に考慮すべき点は例外処理です。条件分岐判断と、条件に沿った処理、大人にとっては単純な作業であるが、子供には大変に苦手とする作業です。日常生活の中で、子どもの言動に触れて、融通が効かないなぁと思った人は多いのではないですか?。融通、つまり”ある条件に合致する場合には別の判断をする”の判断が苦手という事ですね。ここから導き出される児童が理解しやすい指導方法は、「出来るだけ、例外を少なくする」事となります。よって、“足す数”と”足される数“、”順番“いう概念を最初から設定しておけば、引き算を学習する際に、“引く数”“引かれる数””順番“と同じルールで通す事ができ、理解する上での障害が少なくなります。そのため、順番に意味を持たせた以上、足し算で、”足す数“、”足される数“を逆にしても計算結果が同じになるのは、「たまたまそうなる」以外の意味を持ちません。児童にとって”足し算“で”順番“はどっちでも良い、”引き算“は”順番“は逆にできない。と2つのルールを同時に理解するのは荷が重すぎるのです。掛け算割り算の間にも同様のことが生じます。ましてや、足し算/掛け算、は 引き算/割り算 の前に学習するのです。「最初にどちらでも良い」が、次に「順番が決まっています」と、ルールを増やす方向に進んだのでは、児童が更に混乱する事は想像に難くありません。

小学校学習指導要領算数は、恐らくはそんな前提、児童の理解力に応じた学習課程、つまり数学的互換性よりも算数的なルールの一貫性を優先した学習課程を編纂している筈で、各教科書はそれを下敷きに作っている訳です。学校における授業は教科書、ひいては指導要領を元に学習を進めねばならないのですから、足し算にも掛け算にも”順序”がある のです。

また、算数、初等数学において、学習を進めることによって得られるものは、何か。これは、複雑になる処理/既存のルールで処理できない課題をルールの拡張や、新しいルールの追加や適用範囲の拡張をする事で処理の単純化を図るものだと言えましょう。ですが、これらは、最初に”式を立てる“事が出来る上で成り立つもので、算数の範疇では、計算過程において、計算をくふうする、ために利用できる便利な後付けの拡張ルールと言えます。更に“式”には、”順序の入替“という”計算過程“を持ち込まないことで、式を立てる際の”例外処理を少なく”しているとも考えられます。

さて、以上を基に考えてみましょう。式を立てる、という計算作業の始点となる基本型を理解し、それを使う事が出来ているか、を問うている時に、型を理解できておらず「たまたま」計算結果が同じになる ”式”を書いたのか、狙ってその”式“にしたのか、答案のみから判るでしょうか。「たまたま」であれば、理解していないと結論づけられますが、答案だけでは判断不能です。また、狙って書いたとしても、”順序を入れ替える“は、”式を立てる時に使う“ものではなく、”計算する時に使える方法“である以上、不正解とするのは当然の判断だと思うのですが。

ここで話を逸らして、一つ例えを。円の面積を求める時に、x^2*y^2=aを積分してなどと、円の面積を初めて習う小学生に教える人を見たらどう言います?小学生の理解力を無視してオトナゲないっすよね。

小学校の先生は、殆ど教育学部の小学校過程卒です。教育学部はまぁ文系という扱いで、入試でも理数をは課されませんし、一部の学生を除き、大学でも専門的に履修しません。理数に対するレディネスに乏しいですし、苦手に感じている人も多いです。にも関わらず、全教科を指導する訳です。すると、算数だけここまで深く指導要領を読み込み、授業に対峙できる人がどこまで居るでしょうか。プロならそれくらいしろ、と言うのはご尤もでは有りますが、まぁ難しいのが事実でしょう。ならば正答の基準が採点する先生にも説明出来ない。と言う事は往々に考えられます。たしかにこれは先生側が改善するべき点ではありますね。

など言いながらも、小学生の理解力は個人の差がとても大きいのは事実でして、理解の速い子は教科書を一読しただけで充分理解できる子もいます。学校、特に公立学校は理解力に乏しい子にも理解できるよう指導する必要がありますし、そのように学習課程を組んでいますから、できる子には物足りないく思い、先読みして別の解法を身につける子もいるでしょう。ですが、能力に差がある児童が混在している中で、理解力に秀でて先読みできる子は指導内容と異なる方法で解いても正答です。としてしまうのは、公平な公教育と言えるでしょうか。

そんなこんなで、順序が逆でバツなのはおかしいじゃないか!と先生に文句を言うのは、それこそ、オトナゲないのじゃないかなぁと、順番を逆に書いてバツを貰った引き算、割り算の”式“の山を前にそう思うのです。


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